精神科地域医療を先駆け、27年間地域を支えてきた「札幌メンタルクリニック」。その初志のままを受け継ぎ、新たな武器を携えて若き医師が承継に立ち上がった

医療法人ほほえみ会 札幌メンタルクリニック

前院長 岡田文彦 先生

院長 安藤晴光 先生

札幌市東区の歴史は、江戸時代に幕府の命を受け、後に札幌開拓の祖といわれた大友亀太郎による用水路や道路、橋の建設などの農場開拓にまでさかのぼる。明治になり本州各地から移民の入植を促し村落が誕生すると、当時の湿地帯を開拓し農業が主産業となった。土地の区画が整備された現在は、「モエレ沼公園」「ガラスのピラミッド」のほか、南部のサッポロビール札幌工場跡地を利用した「サッポロビール園」などが観光名所となっている。

「札幌メンタルクリニック」は1995年に旧「岡島神経クリニック」を岡田文彦先生が承継したものだ。当時の精神科医療は、一部の総合病院や単科病院によって運営されており、競合はもとより、精神科を標榜するクリニックはまれな存在だったこともあって、「札幌メンタルクリニック」は、地域精神科医療ニーズの多くを寡占してきたといえる。現在は当然のことながら市内に競合が多く開院し、若い精神科医が活躍されているが、それでも当院は高水準な売上・利益が維持されてきた。そこに、岡田文彦先生の提供してきた医療の下で築いてきた地域との信頼関係がある。

2023年、札幌メンタルクリニックの経営とともに、岡田前院長の初志・業績を引き継がれたのが、歳の離れた若き医師、安藤晴光先生だった。

大学紛争下での研鑽

まず、前院長、現在名誉院長の岡田文彦先生からおうかがいします。先生が北海道大学医学部を卒業された1965年当時の医療環境からお聞かせください。

(岡田先生)私たちの頃は、卒後のインターン制度が残っていたわけですが、研修体制や条件の整備が不十分で、後に東京大学の無期限ストにまで発展したインターン闘争と記された時代でした。当時インターンで1年以上の実地修練を経ることが医師国家試験の受験要件だったわけですが、無資格のインターン生が地方で直接診療に加わることが常態化していて、私も方々の病院を回らされました。今だったら大問題でしょうが、それほど医師が足りていなかったのです。インターンを終えて大学院に進み、6年後に学位を取得しましたが、北大紛争で周囲の学生たちは相変わらず鉄パイプを振り回していましたから、ビクビクと緊張しながらの勉強期間でした。それから精神神経科学教室に入局したわけです。医局には10年間在籍しましたが、その間に室蘭市立病院や当時紋別にあった道立病院、稚内市立病院などに出張してきました。その後1976年から1995年まで助教授として北海道大学保管管理センターで診療をしてきました。

精神科医療に進まれたのはどういった理由からでしょうか。

私の父が内科の開業医だったこともあって、私も自然の成り行きで医者になったようなものでしたが、子どもの目にもあまり盛況しているように思えないクリニックを見てきて、普通の医者ではないような仕事に就きたいと考え精神科を選びました。父が北大の第一内科出身なものですから、当時の第一内科医局長が自宅まで飛んで来られ強く入局を勧められたのですが、それでも私は自分の考えを変えませんでした。1970年代はまだ精神疾患患者さんへの偏見がすごく強くて、医療機関としては閉鎖病棟主体の精神科単科病院が中心的な受け皿を担っていました。精神科クリニックができ始めたのは、たしか1980年代後半ではなかったかと記憶しています。

札幌市の精神科医療を最前線で支えてきた

先生が札幌メンタルクリニックを承継されたのは1995年でしたね。

そう、私が55歳のときです。承継した当時は「岡島神経クリニック」という名称でした。開業準備もないまま、私はその直前まで私は試験管を振っていました。

臨床をしながら基礎研究もされていたということですか?

北大時代の10年間は神経内科的なあらゆる神経疾患を診てきました。とくにTGA(一過性全健忘)に力を入れ、「神経研究の進歩」という雑誌にも私の総説が載りましたが、北海道大学保健管理センターでは、北大学生や職員の診療と並行して、薬学部で抗うつ薬の研究を続けていました。その過程で、米国テネシー州のナッシュビルにあるヴァンダービルト大学に1年ほど留学して抗うつ薬の薬理作用機序を学んだほか、ロンドンの研究所で冷凍保存されている統合失調症を患った亡者の脳から統合失調症のGTP結合タンパク質を研究してきたのですが、死亡脳がサンプルのため結果にバラツキがあり、思うような成果は出せずにいました。しょうがないから開業でもしようかと考えたわけです。

精神科医療では精神療法と薬物療法を車の両輪に例えて治療法を選択していくわけですが、岡田先生の基本的な診療の考え方をお聞かせください。

パニック障害の権威で、「赤坂クリニック」や「横浜クリニック」「鎌倉山クリニック安心堂」などを運営する医療法人和楽会理事長の貝谷久宣先生の影響を受け、専らパニック障害に対する支持的精神療法を中心に薬物療法を組み合わせてきました。また強迫性障害の治療では一般的に認知行動療法とSSRIの処方が第一選択となるわけですが、私が実施していたのは「3回確認停止法」というもので、手洗いが気になるのであれば3回まで洗う、ドアの鍵を閉めるのも3回までやっていい。ただし、1回、2回、と回数を数えて、3回目で止めることをルーティンにしました。これは結構効果があって、大抵は明らかな改善が認められる治療法です。英文論文にはしませんでしたが、臨床の成果は札幌市医師会でも発表させていただきました。

現在、当院で診ている患者さんの訴えは、やはり抑うつ、気分障害といった症状が主なのでしょうか。

そうですね。一番多いのはさまざまな要因が基盤となった抑うつ状態、もちろん後に感情の波が生じて双極性感情障害になる人も含まれますし、希死念慮の強いうつ状態も少なくありません。それと今申し上げたパニック障害、強迫性障害、不安障害一般といったところです。

高齢者に多い認知症はいかがでしょうか。

少数ですが、来られたら診るという感じです。大体はうつ状態でやってくるわけですが、当院ではアリセプト(ドネペジル)など認知症の進行を抑制する程度のものを処方するしかありません。札幌市内には認知症の専門外来が数多くありますから、基本はそちらにお任せしています。

職員の離脱と体調不良、そこから事業承継へ

ところで、27年間クリニックを運営し、競合が増えた近年まで高水準な売上と収益が維持されています。この要因をどのように分析されていますか。

コロナ前までは来る患者さんを全部受け入れてきました。売上は患者数に比例するわけですが、野放図に診療時間など無視してきたものですから時間外勤務が常態化していた職員が破綻をきたしました。たしか2020年の3月に突然職員が辞めてしまい、診療を縮小せざるを得なくなりました。以後、午前中のみの診察としたことで売り上げも減少しましたが、2022年から月曜日と木曜日に午後診療を再開し、今年の4月の事業承継で安藤晴光先生に院長に就任していただき、ようやく売上・利益ともに元の状態の8割程度に回復したというわけです。

後継者への事業承継をお考えになったのは、先生の年齢的なことが理由でしょうか。

引退を考え出したのは3~4年前ですが、今年に入ってから私自身に突進現象が起こるようになりました。MRI検査で異常な所見は認められず、パーキンソン病に特徴的な静止時振戦や筋強剛もないのですが、無意識に足がふらつく歩行障害が起き出したわけです。その原因を調べているのですが、私見ながら新型コロナワクチンが疑わしいのではないかと思っています。要するにエイズと同様にワクチンが免疫を阻害しているのではないかということです。この懸念は京都大学ウイルス・再生医学研究所の宮沢孝幸准教授も指摘されていましたが、私も4度目以後の接種は控えました。

それで、メディカルトリビューンの渡辺昭宏さんに第三者事業承継の相談をもちかけられたということですか。

(渡辺昭宏/メディカルトリビューン)昨年の春先に弊社から事業案内のDMを送らせていただいたのですが、GW前に岡田先生から体調が芳しくないとの連絡をいただき、すぐにクリニックにうかがったのがきっかけです。

(岡田先生)あれも妙な出来事でして、急な発熱から救急車で運ばれたのです。ところがPCR検査の結果コロナの疑いがなく帰らされたのです。そのことよりも、渡辺さんに連絡した心配事がクリニック職員の欠員が埋まらず、診療の継続が難しい状態だったことです。この人員問題解決に渡辺さんはすぐに動きだし、助けていただきました。

そこから事業承継へと話がつながったというわけですね。渡辺さんがマッチングをコーディネートした安藤晴光との面談での第一印象はいかがでしたか。

真面目そうな青年だと思ったことが一つ。それと、私は10年過ごした医局人事から逸れた医者ですが、びっくりしたことに安藤先生も初めから逸れ者なのです。そういう意味で、「あんた俺と似ているな」(笑)というのは感じました。

外科医から内科医、健康食品会社の起業!? を経て精神科医へ

では、ここから新院長の安藤晴光先生からも話をうかがいます。プロフィールを拝見して驚いたのですが、医師としてのスタートは消化器外科だったのですね。やはり、がん治療に取り組みたいという思いだったのでしょうか。

(安藤先生)若かりし頃のことですね。現在の消化器外科的治療の第一となるラパコレの手技を学び、果敢に手術に挑んできました。

その後は和歌山に移られて、総合内科医に転じられたということですね。

とはいっても、小さな病院だったので、内科プラス何でも屋という感じです。

精神科医療も和歌山で経験されたのですか。

和歌山の病院には精神科がなかったのですが、内科に心療内科の機能を備えたお悩み相談的な部門がありました。それでも内科の延長のようなもので、正式な精神科医療は閉鎖病棟もある苫小牧市道央佐藤病院での勤務で経験しました。

その間の2017年にカナダで健康食品の会社を起業されたのですね。

そうですね。元々栄養医学には興味がありました。カナダの会社では味噌などをベースにした発酵食品を開発・販売していました。カナダ人は一般的に健康志向が強く、生野菜も結構多く食べられます。そこで、野菜につけて食べられる美味しくてヘルシーなディップを開発しようと考えたわけです。

先生の専門領域であるオーソモレキュラー栄養医学の原点もそこにありそうですが、分子を矯正して整える、投薬中心の枠組みから栄養を医療の基盤とする考え方について少し分かりやすく説明していただけますか。

栄養学でいうと、エネルギー産生栄養素の一つであるタンパク質が体をつくる材料なのですが、タンパク質は20種類以上のアミノ酸が立体的に集まった高分子化合物です。このアミノ酸がそれぞれの機能を果たしているわけですが、半数近くは食品から摂取しなければ合成できない必須アミノ酸と呼ばれるものです。分子レベルというのはそのことで、栄養医学というのは決まった手法というより、考え方を示すものです。実際に行っているのは毎日の食事療法で、その軸が分子栄養学に則っているというわけです。ですから、サポート的に患者さんの体調不良を支えるという意味では、いろいろな薬も併用した方がいいという方針でやっています。

オーソモレキュラー医学と精神疾患。この関連性もあるということですね。

オーソモレキュラーの効果は全身に効果があると考えられますが、栄養障害は一番大きな臓器である脳にくるのではないかと思われます。精神科医療の薬物療法で過剰状態の正常化を促すセロトニンやドーパミンもタンパク質です。そういう意味では効果が出やすいのではないかと思っています。

説明を受けた患者さんの納得度も高そうですね。

そうですね。基本的に私たちの体は摂取した食べ物でできていて、その取捨選択でいまよりも体調が良くなることは、日本人のだれもが知っていることです。昔からいわれるところの医食同源ですね。診療は分子栄養学の理論を元にやっているわけですが、難しい説明はしません。それでも効果を実感しやすいと思いますので、特別なものではなく通常の診療の流れのなかで行っています。

カナダでの起業もそうですが、独立志向のようなものは元々あったのでしょうか。

最初に入った外科医療は当然ながら病院のチーム医療でしか成り立ちません。それ自体はとても良い経験でしたが、内科に転科してさまざまな患者さんと向き合う経験を重ね、その意識の深さを知ると、私自身に探求心のようなものが芽生えました。人間の心って思うよりはるかに奥深いのだと自覚したときに、いろいろとやってみたくなるものですね。新しいことを始めようとしたときに、大きな病院組織にいて上司の許可を得ることよりも、自分の責任で意思決定してみようと思いました。その方法論としての開業という選択肢はもっていました。

精神科医療にも治療ガイドラインが定められているわけですが、事実上、診断を確定する数値化されたエビデンスに乏しいのが特徴です。もちろん病院外来でも同じことなのですが、地域医療の担い手としての精神科クリニックは患者さんにとってどういう位置づけであるべきかとお考えですか。

精神疾患かどうかの診断以前に、患者さんはいろいろな症状や不安を抱えて来院されるのが現状です。

(岡田先生)クリニックが増えて精神科医療への受診のハードルが下がりました。昔は単科病院しか受け皿がありませんでした。精神科医で作家でもあった北杜夫(斎藤宗吉)の時代がまさにそうで、私もそうした時代に精神科医になりました。いま職場などでのパワハラやセクハラに端を発する適応障害が相当増えています。身近なクリニックの精神科医から診断書をもらって、休職や退職のエビデンスにするわけですね。昔はあり得なかったことです。メンタルクリニックが経営的にやっていけることになった背景がそこにあります。

潜在的なストレスが顕在化し、その受け皿がクリニックだったということでしょうか。

どうなんでしょうかね。私が岡島前院長の跡を継いだときが丁度過渡期だったと思いますが、それまでのクリニックでの精神科医療は、どの先生も大抵内科や神経科をやりながら併科で診てきたのです。そこから、精神科を単科で標榜するようになり、さらに「心療内科」へとつながりました。サイコソマティック・メディスンにも通じる心身一如とも共通点がありますが、世界でも日本にしかない「心療内科」という言葉が、受診のハードルを急に下げたように思います。

安藤先生は岡田先生と面談され、どのような印象を受けましたか。

(安藤先生)80歳を過ぎていると聞いて、あまりにもお元気でびっくりしました。あまりに若々しくて、診察室での姿は60代を感じさせます。
(岡田先生)いやいや、ただのカラ元気です(笑)。言い忘れましたが私は64歳のときに胃がんにかかり、胃を全摘しているんです。その後も腸閉塞を6回もやっていて、もう大丈夫だろうと思ったら今度は背中にきた放散痛が痛むのです。耳も遠くなり、そうなると逆にカラ元気が出ますから安藤先生にはそのように感じるんでしょうね。

今年の4月から診察に加わってみて、岡田先生から受けた学びのようなものはありましたか。

(安藤先生)一緒にいて学ぶところだらけで、すごく勉強になっています。
(岡田先生)精神科医療というのは私の医師人生の一部に過ぎません。大学でNeurologyをやってきて、私自身は神経精神科医だと思っています。それで、いま40年ぶりに脳波検査をやっています。てんかん医療では特徴的な発作波で診断しますが、精神科ではあまりやりません。でも指紋と同様に、脳波も一人ひとりに固有の波形があります。そこに興味と可能性があります。

精神科の場合、他科に比べて患者さんと主治医の信頼関係が強く結ばれていると思われますが、大ベテランの岡田先生から若い安藤先生に院長が代わり、既存患者さんに戸惑いのようなものはありませんか。

(安藤先生)最初は岡田先生がこれからどうなってしまうのかと不安の声が多く聞かれました。ただ岡田先生が名誉院長として平日週2日と土曜日も月2回入っていただけることになり、患者さんにも説明がしやすくなりましたし、患者さんも動揺することなく運営できています。そういう意味で、一番いいスタイルで丁寧な承継ができていると感じています。

安藤先生としては、今後岡田先生の診療スタイルのどこを踏襲し、どの部分に安藤先生らしさを発揮しようとお考えですか。

大事なのは個々患者さんにベストを尽くすことですので、あえて線引きすることなく、肌感覚で良いと感じるところはそのまま岡田先生を真似たいと思いますし、私のメソッドが活かせるところは最大限に発揮したいと考えています。

精神科医療に対する多角的な視点でのアプローチ

安藤先生の場合、これまでの臨床で経験された外科、内科など他の診療科の視点での精神疾患の評価などもできるのではないですか。

いまの人には、神経系も含めて、多角的な評価や治療のアプローチは有効ではないかと思っています。私自身がそうやって学んできたなかで、いまに至っていますから。

(岡田先生)「分子整合栄養学」を創設した三石巌先生は、要するにいまの医者たちの医療は間違っていると著書のなかで書かれているんですね。この三石理論に入れ込んでいるのが安藤先生です。

(安藤先生)重症の糖尿病にかかっていた物理学者の三石先生が、ご自身を実験台にしながら100歳まで生きてみせると独学で導いたのが「分子整合栄養学」です。人間の体を医学者ではない視点でとらえています。いまの医療は基本的に対症療法にならざるを得ません。患者さんの症状を医学的に診断し、治療を選択するのに対して、「分子整合栄養学」は人の体は元々何からできているのかという真逆の視点からアプローチしています。両方やってみてもいいのではないかと思っています。

(岡田先生)そう。だから安藤先生が三石理論に基づいて行っていこうとする精神科医療の発展が楽しみだし、私は大いに期待したいと思っています。

医療におけるコンプライアンスからアドヒアランスへの流れのなかで、とくに主治医に依拠しがちな精神科医療では、患者さんが自分の意思で治療に積極的にかかわることが重要だと思われます。安藤先生はどうお考えですか。

(安藤先生)患者さんもいろいろで、何もわからないという初診患者から、何十年も医療機関を変えて通院し、自分のやって欲しい医療を求める人もいます。私がこの治療法がいいかなと思っても、患者さんの訴えに応じて柔軟性をもって決めるようにしています。一方通行の治療の押し売りが決して喜ばれないことも経験してきました。

保持することが安心感なのか、向精神薬の処方だけを求められる患者も少なからずいると思われますが、そういった方にどういう対応をされていますか。

大事なのは、患者さんが求める根本が何かですね。気分よく仕事ができて本人の満足度が高く、副作用がなければ制限の範囲内で処方しますし、薬を減らしたいのだけど抜けられないという悩みもあります。方法はいろいろとあるわけですが、まず受診の目的を知ることが大事だと思っています。

(岡田先生)かつての精神科医療は、患者さんの求めに応じて、向精神薬を大量に処方してきました。内科医でNPO薬害研究センターの理事長を務める内海聡先生が著書「精神科は今日も、やりたい放題」などのなかで精神科の薬物療法を批判してきましたが、近年、厚労省も規制している通り、多剤処方で症状を抑え込むような時代は終わりました。私は精神科医療の過渡期に大学から病院に出張していて、興奮する統合失調症患者さんをベッドに並べて、無麻酔で次々とECTをやってきました。そんな時代だったわけです。いまは全身麻酔下で行うMECTになりましたが、当時は気道確保や痙攣を抑えるなど、麻酔はかえって危険で、すごい手間がかかったのです。

抑うつ症状で受診される患者さんの1~2割が、後に双極性障害の診断に変わるとされるデータがありますが、処方薬も違うだけに医師としての見極めは大事ですよね。

そこは経過を見ながら処方をコントロールするしかありません。確かに2型の双極性障害は少なくはありませんし、まれに慢性の躁状態だってあります。もちろんその場合は、ご家族が連れて来るわけですが。統合失調症だって、その原因はいまだにわかっていないのです。文豪、夏目漱石だって統合失調症で3回も入院し、小説家として大成したわけでしょ。芥川龍之介もそうだったといわれています。つまり、頼れる主治医が患者さんにどう寄り添うかということが精神科医療なのです。

当院で統合失調症患者さんも診るのですか?

結構いますよ。いまの入院医療での薬物療法では不完全で妄想や幻聴は絶対に取れません。そこは病院もクリニックも一緒です。最初はうつ症状で来院し、少し躁状態になって双極性かなと思っているうちに幻聴が現れてくる。そうなると統合失調症感情障害となるわけです。結構いらっしゃいます。初診で見抜けない以上、クリニックとしても慎重に処方を調整しながら経過を見ていくしかないのです。

多職種・多機能が密に連携して精神科地域ケアと早期社会復帰を目指す多機能型精神科診療所も少しずつ増えつつありますが、当院の将来的な機能でそのようなお考えはありませんか。

(安藤先生)少し考えたこともありましたが、当面は現状維持で十分という感じです。というよりも、岡田先生を慕って来られる患者さんが多いので、対応しきれないという側面もあります。
(岡田先生)札幌市内にも就労継続支援事業所がいくつかありますし、利用者も数多くおられるようです。このビルの3FにもA型、B型の作業所があります。当院での通院は関係なく、事業者から連絡を受けて書類を作成することも結構あります。

事業承継でつながれた担当コンサルタントとの信頼関係

最後の質問になりますが、今回事業承継のマッチングとコンサルティングサービスを担当させていただいた、メディカルトリビューンと日本医業総研の支援についてのご感想をお聞かせください。

(岡田先生)私、いまでもよく分かっていないのですが、メディカルトリビューンと日本医業総研はどう役割を分担されているんですかね。
(渡辺)日本医業総研には開業・継承支援も含めたコンサルティングの実績があり、メディカルトリビューンは発行する新聞の読者とともに、事業承継元・先ともに数多くの候補者がおりますので、そのマッチングを担当しております。

安藤先生はどんな印象を持たれましたか。

(安藤先生)初めての経験でしたが、電話やweb面談も丁寧な対応でしたし、実際に何度も足を運んでいだたき、書面に書かれている以外にもさまざまな情報を提供していただけました。

(岡田先生)渡辺さんからは多くの承継候補者を紹介いただきましたが、それ以前に私の体調や職員の問題など、本当にピンチを救っていただきました。

(渡辺)岡田先生からご自身の体調のことなどすべてお話いただけたので、仕事を離れてでも先生のためになんとかお役に立ちたいという気持ちでやってきました。引き継ぎ候補者も複数名ご紹介させていただきましたが、それ以外のどんなに細かい相談でもメールなどは使わずに何度となく直接お伺いさせていただき、関係性を深めていただけたと思っています。安藤先生を紹介させていただいたときは是非にと強く要望され、そのままに安藤先生も承継の意思を固められたのではないかと思っています。

植村さんの立場から今回の事業承継の成功をどのように見ておられますか。

(植村智之/日本医業総研)これまでいろいろな事業承継をサポートさせていただきましたが、岡田先生から安藤先生に引き継がれるのは、双方、そして地域にとってもベストな選択だったと思っています。岡田先生が波乱万丈さながらにクリニックをやってこられ、当院は地域に不可欠な医療資源となりました。とくにメンタルクリニックの信用は他院では代替が利きません。その院長が引退されるというのは大変なことなのです。後継者の安藤先生は札幌メンタルクリニックがこれまで行ってきた医療と、岡田先生の人格、思いのすべてを尊重し、無条件で受け入れてくれました。それがあってほしいと願う姿なのです。今回、事業承継の理想像を担当させていただいたという思いです。

ところで最近岡田先生は「精神分裂症の謎」以来、25年ぶりに単行本を上梓されたと聞きましたが、院長退任後のライフワークは作家活動でしょうか(笑)。

(岡田先生)作家の才能はないので、評論家になろうと思って、文芸社から『失われた時1940-2022年を求めて』を発刊しました。一般の書店には並んでなくてAmazonなどのネット書店で広く扱っているようです。まだレビューもないので売れているかどうかはまではわかりませんが(笑)。

では早速当社で一冊購入し、最初のレビューを書かせていただきます(笑)

Profile

名誉院長(前理事長・院長) 岡田文彦 先生
精神保健指定医
1965年 北海道大学医学部 卒業
1966年 北海道大学医学部精神医学教室 助手
1976年 北海道大学保管管理センター 助教授
1995年 札幌メンタルクリニック 院長
2023年 札幌メンタルクリニック事業承継 名誉院長

 

理事長・院長 安藤晴光 先生
2002年 富山医科薬科大学 卒業 
愛知県、岐阜県にて消化器外科
2011年 和歌山県那智勝浦町にて総合診療医(内科部長)
2017年 カナダで健康食品会社を起業、発酵食品の製造販売を行う
2019年 苫小牧市道央佐藤病院 精神科、内科医員
2023年 医療法人ほほえみ会 札幌メンタルクリニック 承継 理事長・院長就任

Clinic Data

Consulting reportコンサルティング担当者より

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