先生の生まれ育ったご実家での開業は、ご逝去されたお母様の希望でもあったんですね。
余計なプレッシャーを与えたくなかったのか、母は私には何も言っていませんでした。実家をクリニックに建て替えるにあたって近所に挨拶に出向いた際、生前の母が懇意にしてきた方々から、「お母様の希望を叶えたのね!」と言われ、初めてそのことを知りました。最愛の母にクリニックを見せてあげられなかった切なさがこみ上げ、胸がいっぱいになりました。
医師になることは早くから意識されていたのですか。
人と接する仕事をしたいという思いはずっと持っていました。高校卒業まで東京学芸大学の附属に在籍していましたが、小学生の頃の私のヒーローは、毎年来られる教育実習の学生でした。それで学校の教師もいいかなと考えた時期もありました。高校生の時、体調を壊して、重症には至りませんでしたが、医師の話を聞く中でヒトの体そのものに興味を抱いたことで、医学部受験を意識するようになりました。
消化器内科へ進まれた理由は何でしょうか。
卒後は東京逓信病院で研修しましたが、子どもの頃、よく気管支炎を患わっていたこともあって、最初の研修科目だった呼吸器内科は学問としても勉強したい分野でした。しかし、まだ吸入ステロイド薬などなかった時代、病棟は喘息と肺がん、RAに伴う肺線維症の方ばかりでした。患者さんの辛さ・苦しさが私自身の過去の体験と重なり、喘息の増悪や末期の肺がん患者さんと接することに気持ちが落ち込みました。次に、消化器内科にローテしましたが、呼吸器の限界状態から光を見出せた思いでした。内視鏡がかつての接眼レンズファイバーからビデオスコープに切り替わった時期で、安全性や診断の精度が飛躍的に向上し、病変が手に取るようにわかりました。医師免許に加え、内視鏡の技術を習得することで、結婚や出産などどんな生活環境の変化にあっても医療の世界と関わっていけると思いました。
勤務医時代から将来の開業を意識されていたのですか。
勤務医時代に開業という発想は実はありませんでした。このまま内視鏡を続けて、やり尽くしたと思ったら医療を離れた分野で大学に入り直すなど、仕事と趣味の両立生活も悪くないなと思っていたのです。そんななか、開業に気持ちが傾いたのは、「いつまでも内視鏡ばかりやっていたのではしんどくなるでしょう。僕が死んだらここ(実家)を改築なり増築なりして開業したら」という父の言葉でした。父が亡くなったらって……、それでは私だって若くはないし、現役を続けるにも限度がある、と。クリニック開業には相談した妹も賛成してくれました。
急な決断で、開業準備はどうされたのですか。
開業のノウハウなど何もありませんから、手あたり次第、無料の開業セミナーを受講しました。すると、すぐに主催会社のコンサルタントからアプローチがあるのですが、「先生、こんな人通りの少ない住宅地ではなく、目抜き通りで上・下部内視鏡を大きく打ち出せば儲かります」と、そんな話が2~3回ありました。
先生の強みを開業に活かそうとしたら、確かに内視鏡ということになりますね。
消化器内科も女性医師が増えたとはいえ、十分な技術をもってポリペクに対応できる医師はまだ少数と言わざるを得ません。そういう意味では、女性の下部内視鏡の需要を掘り起こすことは十分可能ですし、それを武器に開業したい気持ちは当然ありました。しかし、限られた広さの土地を有効活用して開業すると決めた以上、冷静な経営判断で取捨選択しなければなりません。また、大腸までやるとなると、設備や医療体制をキチン整えなければなりませんし、万が一とはいえ穿孔や出血のリスクも伴います。そこで、クリニック内で実施する内視鏡は上部だけとし、下部はかつての医局の上司が院長を務め、私自身も勤務経験があり、現在も非常勤で勤務している「さとう消化器内科クリニック」に紹介し、私が出向いて実施することにしました。
一般的な内科も標榜されていますが、現在の患者さんの内訳と内視鏡の実施状況はいかがでしょうか。
消化器とその他の領域は概ね半々でしょうか。8割がたは女性で、高齢者が中心ですが、高校生の受診者もいらっしゃいます。若い女性は、過敏性腸症候群がらみのお腹の不調が多いようです。住宅地の狭い診療圏で、まだ認知度も低いからか、上部内視鏡の実施は週2~3例。看護師が常勤ではないので、彼女の出勤日と患者さんの都合を擦り合わせながら実施日を決めています。下部は週2日の提携先クリニックでの勤務に合わせて月に2~3例といったところです。
漢方も処方されてるんですね。
漢方の勉強は、製薬メーカー主催のセミナーに10年ほど通い詰めました。漢方内科は標榜していないので、大々的に謳ってはいませんが、若い女性には関心が高いようです。処方は保険適用の範囲で行っています。
日本医業総研の開業サポートはいかがでしたか。
医業総研の小畑さんは保険医協会さんから紹介いただいたのですが、本当に助かりました!
それまでお会いしてきた、海戦山千のコンサルタントからの「儲かる開業」にやや違和感があったのですが、小畑さんは、私の実家での開業を否定しませんでした。家族の思い出が詰まったこの土地を大事に、どうしら開業が成功するのか。私の考えにじっくり耳を傾け、私の性格まで理解したうえでメリハリの効いた気持ちいいサポートをしてくださいました。保険医協会さんからの紹介や、母体が医療機関に特化した会計事務所ということにも信頼がおけました。
ご実家を建て直しての開業だけに、地域への特別な思いがあるのでは。
故郷へ錦を飾るという面はありますが、それは地域に対する思いというより、私の人生のなかで自身がどうありたいかを優先に考えたとき、自分が生まれ父から授かった土地に医療を提供する場所があることを示したかったということです。ここには、私が勤務してきた大学や基幹病院とは違った医療需要があります。不調だけど病院にかかるほどの病気なのかといった相談はよくありますし、検査の結果、必要とあれば適切な医療機関に紹介状を書いて差し上げます。あたりまえのことのようですが、そこにあるのは家族と接するような信頼関係であり、それが私と地域との関わりのあり方だと思っています。
クリニックの将来像をどうお考えですか。
クリニックの機能や規模を拡張する考えはありません。趣味も多いですから、これからは仕事を含めて自分の人生を楽しみたいと思っています。いつまで現役でいられるかは分かりませんが、どこかのタイミングで私の意志を引き継いでくれる先生にお渡しつつ、週に1~2回、私の医療を必要とする患者さんだけを診ることができたらいいかなと思います。ただ一つ、私が生きている間は、「ちほ内科クリニック」の名であって欲しいと願っています。
ちほ内科クリニック
院長 金丸千穂 先生
院長プロフィール
医学博士
日本消化器病学会 認定専門医
日本消化器内視鏡学会 認定専門医
日本内科学会 認定医
日本医師会 認定産業医
1992年 群馬大学医学部 卒業
東京逓信病院内科 初期研修
東京大学医学部附属病院 第4内科入局
2002年 東京大学大学院医学研究科 終了
東京慈恵医科大学附属病院 内視鏡科
芝パーククリニック
佼成病院 内科
聖路加病院予防医療センター 内視鏡科
2018年 ちほ内科クリニック 開設