■中原先生が医師を志した動機、そして小児科を選択した理由をお聞かせいただけますか。
私は今でこそ24時間連続当直も平気というくらい丈夫ですが、小さい頃は腺病質というか、すぐに風邪を引いて扁桃腺をはらし寝込むといった子供だったんです。その頃、連れられていった医者に診察して貰うと、楽になったという思い出があります。だからわりと小さい頃から医者になって恩返しをしたいという気持ちがありましたね。小児科を選択したのも、その流れです。
■大学は福岡、そして広島で研修、臨床のキャリアを積まれました。
出身が広島の呉市なので、広島で勤務医としてのスタートを切ることになりました。
■医師として臨床の場を本格的に経験するようになって、何か思い出となるようなことがありましたか。
ええ。三次市で私にとってはとっておきのことがありました。市立三次中央病院に勤務していた頃です。小学生の女の子の患者さんでした。とってもおとなしい子なんですが、ある時「先生、私も先生のようなお医者さんになりたい」と言い出した。びっくりするやら嬉しいやらで「先生、嬉しいよ。そう言ってくれて」といったら、お願いがあると。インタビューさせてくれって言うんです。もちろんOKしましたが、数日後、友達と取材にきた。そして授業の教材として皆の前で発表してくれたそうです。
■いいお話ですね。
医者になって良かったと本当に思える経験でした。私も小さい頃の思い出が今の道を選ばせたし、その子がもし医師の道を選んでくれたら、思いがつながったという気持ちですね。
開業はしたくなかった
■開業を決意された理由は。
実は開業する気は無かった。実家が2代読いた歯科医院で、兄で3代目ですが、父のいろんな苦労を見ていて子供の頃から開業医は嫌だなと。
■それがなぜ?しかも開業には比較的若い年齢ですよね。
開業には抵抗はありましたが外来診療は大好きでした。一番の理由は子供ですね。医局人事の勤務医だと転校が度々になり、せっかくできた友達とも別れてしまいます。それと、どうせ開業するんなら、体力・気力も十分な今かなと。
■医業総研とはどんな出会いだったんでしょう。
私が信頼するコンサルタントの方からの紹介でした。開業に関するいろんなコンサルがありますが、その方は医業総研だ、と。
■意思決定してから開業まではどんな10ヶ月でしたか。
最初は順調だったんです。この場所もご提案いただき、契約も順調に進んでいきましたが、途中でちょっとしたトラブルがあって、最悪は開業を断念するかというとこまで考えました。でも、担当の山下さんに粘り強く支えていただき、本当に感謝しています。
患者、母親の視点を提供してくれるスタッフ
■内覧会は相当な数だったそうですね。
2日間で恐らく400~500人の方に来ていただきました。医業総研のなかでもトップクラスと伺っています。実は、スタッフの採用に関しては妻や山下さんなどとも話をして、事務職は全員未経験者を採用したので、内覧会などみんな初めての経験でしたから。それはもう(笑)、てんてこ舞い。ただし、妻も含めて全員が子育て経験者ばかり。だから、母親の立場で子供のことを真剣に思ってあげることができます。たとえば、10分患者さんを待たせたとしますね。一般的な医療従事者の場合、事務職であってもやはり医師側、病院側に立った考え、発言をしてしまいます。10分程度我慢してください、といったように。
■よく見かける光景ですね。
妻やスタッフは違います。よく診察室の裏で、母親の気持ちが分からないと妻に叱られている。多分、スタッフや患者さんには聞こえてるんじゃないかな(笑い)。でも、これがありがたい。
■しかし、未経験者ばかりだと困ることはありませんか。
逆です。いわゆる業界の慣習に縛られないで、本当のサービスができると感じています。仕事は慣れるものですし、むしろ自由な発想で楽しめます。例えば注射跡に貼る絆創膏に絵を描いて子供に喜ばれたり。
■奥様もスタッフの一人として支えていらっしゃる。家庭と仕事で大変じゃないですか?
そう思います。でも「仕事が楽しい」といってくれています。妻もまったく医療関連の仕事はしていなかったのですが、今ではスタッフのまとめ役でもあり、患者さん、母親の気持ちを代弁する重要なアドバイザーとなってくれています。
■今後の目標は。
当面、1日100人の患者さんに来ていただくことです。今のスタッフであれば、十分に達成できると思いますし、なおかつ更に良い医療サービスができると思います。