香里団地は、昭和33年、日本初の郊外型団地として大阪府枚方市に誕生しました。かつては“東洋 一のニュータウン”と呼ばれ、枚方市への住民の流入を推進してきたエリアでもあります。現在、再開発が進む周辺の香里ヶ丘は、古い街並みと新しい街並みが 共存する人口過密地帯となっています。そんな地の利を活かして、北山等院長は昨年12月に診療所をオープンさせました。
■北山先生が開業を決意された経緯をお話しください
大阪大学の血液・腫瘍内科に在籍し、血液内科という内科でも専門性の高い分野に携わってきましたから、正直、自分が開業するとは考えていませんでした。ただ、開業医である妻の父から、開業に関するさまざまな話を聞いていましたので、興味があったのも事実です。
開業を決断するきっかけとなったのは、星ヶ丘厚生年金病院で医療機能評価を取得するための任務が一段落し、同じタイミングで異動の話がでたことです。どうせ新しくチャレンジするのなら、自分の力を試せる診療所経営にチャレンジしたいと考えて、開業に踏み切りました
■早い段階から香里ヶ丘周辺に魅力を感じておられたようですが、どういった理由からでしょうか?
第一には、以前の勤務先である星ヶ丘厚生年金病院から近かったこと。そして次に、香里ヶ丘周辺の地の利にあります。
香里ヶ丘は、早くからニュータウンとして栄えてきたため、高齢者が多いのが特徴です。一方で、近年はマンションの建設ラッシュが進み、若い世代の入居も目立ちます。住民の年代層が幅広く、内科で開業するには適した土地といえるでしょう。
また、人口密度が非常に高いエリアにもかかわらず、開業地の周辺には、競合する診療所が見当たりませんでした。診療のニーズがありながらも、競合がない立 地環境は、枚方市では非常に稀です。なおかつ、診療所がスーパーに併設されていますから、自然と人が集まってきますし、駐車場の心配もありません。本当に 願ってもないロケーションでした。
■物件が決定してからが、大変だったとお聞きしましたが
実は、家主さんとの交渉がなかなかうまく進まなかったのです。仲介に入っていた建設業者が法外な見積書を出してきたりして苦労しましたが、コンサルタントの方に別の業者さんを紹介してもらい、開業に間に合いました。
初めての経験でしたので、すべての交渉をプロの方にお願いしたのが幸いだったと思います。日本医業総研のコンサルタントの方が、私に代わって粘り強く交渉 を続けてくれたおかげで、トラブルが起きてもあまりストレスを感じることなく対処することができました。紹介していただいた業者の方も、とても誠実でした し、本当に感謝しています。
■実際に開業してみて、開業医のイメージは変わりましたか?
現在、一日あたりの患者数は40人前後。勤務医時代は、血液内科のほかに、免疫アレルギーも専門領域でしたから、内科、循環器科のほかに、アレルギー科を標榜しています。
実際に開業すると、イメージしていたよりも診療は多岐に渡り、ほとんど病院の総合外来をやっているような感覚です。時には患者さんが求めておられる内容 が、こちらの予測を超えてしまうこともありますね。初診で緊急入院の必要な重症の患者さんが来られて、救急車を手配したことも、これまでに数回ありまし た。診療所だけでは限界がありますので、星ヶ丘厚生年金病院をはじめ、関西医科大学附属枚方病院、市立枚方市民病院など地域中核病院との連携も積極的に 行っています。
■今後のご予定は?
専門外来の実施を考えて、診察室を2つ用意しました。現在は、水痘などの感染症や高熱が出た患者 さんの隔離室として使用していますが、将来は、循環器外来や漢方外来の診察室として使用する予定です。 立地条件に恵まれたおかげで、専門性が出しにくいといわれる内科での開業にも関わらず、開業当初より地域の方に来ていただけたのは大変ありがたいことで す。しかし、今後の診療所経営を考えると、独自の特色を打ち出していくことが必要だとも思っています。また、受付・待合室の雰囲気づくりも重要なので、明 るく丁寧な対応をスタッフ全員で心掛けています。 患者さんのニーズは多岐に渡ります。目の前の患者さんが、何を求めておられるのか、個々のご要望に的確にお応えしながら、当院としての特色を打ち出してい けたらと思います。
北山 等(きたやま ひとし)先生
ご経歴
1986年、大阪大学医学部卒業後、同大学附属病院第二内科入局。97年、医学博士取得。大阪大学医学部血液・腫瘍内科助手、星ヶ丘厚生年金病院内科主任 部長を経て、06年12月よりきたやま内科クリニックを開業、現在に至る。大阪大学医学博士、日本内科学会認定内科専門医、日本血液学会認定血液専門・指 導医、日本医師会認定産業医、日本臨床腫瘍学会暫定指導医、インフェクションコントロールドクター