クリニックの現場にこそ、
院長・経営者としての学びのすべてがある

中原 宏 先生

中原ひろし小児科
理事長・院長

京都市北西部に位置する右京区は、2005年に旧京北町を編入したことで、市内11区の中で最大面積を有し、現在は人口20万3千人超を抱く行政区を形成している。
悠久の歴史に彩られた同区内には、心経写経の本山として知られる「大覚寺」(旧嵯峨御所)や古典文学にも登場する世界遺産の「仁和寺」などの旧跡が数多く点在し静寂な時空が観光客の心を豊かにする。
「中原ひろし小児科」は、2010年に地域の一大商業拠点であるイオンモール京都五条に開設されたクリニックモール内に開業した。400~500人もの方々が訪れた内覧会が注目の高さを示す通り、開業時から順調に立ち上がり、7年目を迎えた現在も一診体制を維持したまま1日100人以上の患者さんに対応している。同クリニック名をインターネットで検索すると、中原院長の穏やかな人柄と確かな診療、スタッフの適切な対応への高い評価が目を引く。

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子どもの健康が未来を創る

幼少期の私は体があまり丈夫とはいえず、何かと医療機関のお世話になっていました。医師の道を選んだのは、かかりつけの小児科医と歯科開業医だった父の姿を見て医療が常に身近な存在だったことの影響もあったのでしょう。医学部への進学にも何ら違和感はありませんでした。
小児科の標榜施設数の減少と、現在やや持ち直したものの慢性的な小児科医不足のなかで私がこの道に進んだのは、一つには子どものころ再三お世話になった小児科医療への恩返しという意味もありますが、未来を創るポテンシャルを潜在する社会の宝を健康にそして笑顔にしたいという一心です。小さな子どもは、自覚症状を正しく伝えることが不得手です。ましてや、受けたい医療を自らの意思で選択することはできません。それだけに、瑣細な疾患の芽を見逃さず、早期に適切な医療を施すことで重篤化を封じるプライマリケアが重要であり、クリニックがもっとも意識しなければならない機能だと考えます。

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病院外来から見える、小児科医療の不十分な機能分化

前勤務先の洛和会音羽病院は、救命救急センターの指定を受けた救急医療機関で、私自身、若さに任せて月7~8日の当直勤務を普通にこなしてきました。
小児二次救急医療機関にかかる病児の9割以上が軽症という報告データがありますが、実際私が外来や救急対応をしてきたなかで集中的な治療を要する急性疾患や入院が必要な重篤なケースは紹介患者さんを除けば限られていました。最初のアクセス先であるはずのクリニックの多くが夜間・休日に対応していないことから、結局病院に頼らざるを得ないという機能未分化の現実がそこにあったわけです。風邪で高熱を出した子どもに解熱剤を処方し、「あとは家でゆっくり休んで養生すれば治ります」というのは、本来の病院外来機能ではありませんし、それ以上の医療サービスも病院では提供できません。また、一定の通院治療を必要とする場合でもコマ数で医師の配置を管理する病院の外来では、子どもの回復の経過を一人の医師が見守ることはできません。私の好きな外来で、子どもたち一人ひとりに寄り添い最後まで責任を持ちたい。医師になって10年近くが経ち、開業へと気持ちを揺り動かしたのは、望ましい小児科プライマリケアのあり方を私なりのスタイルで見出し実践したいという思いからでした。

開業の不安を払拭してくれた、コンサルタントの姿勢

激務の代名詞のようにいわれる病院勤務医ですが、少し視点を変えれば安穏とした仕事環境だという側面もあります。管理職でもない限りは経営数値や人事などに直接的に関与することはまずありません。それでいて医師の身分や収入は定年まで保証され、その間に実績を競い合うような競争原理もあまり働きません。
開業をするということは、勤務医が享受できるメリットを捨て、ゼロベースどころか多額の借入金を抱えて大海に出帆するようなものです。加えて経営については素人同然ですから、どんな医師でも少なからず不安を感じるはずです。
日本医業総研は旧知の方からの紹介でした。社名はウェブ検索でも数多くヒットしましたので、開業実績は申し分なさそうですが、それでもまだ不安は残ったままです。ところが担当コンサルタントの田中徳一氏、山下明宏との面談で一変しました。まず、「先生の思いを全力でかなえたい」という熱意に感興を覚えたこと、さらに「経営黒字化まで責任をもってサポートをさせていただく」という心強い言葉が不安を払拭してくれました。
開業では、子どもの突発的な急性症状や仕事の関係で平日の受診が難しい親御さんに配慮し、夕診時間の充実(夜間8時まで)と土日診療(日曜日は午前診療)を基本におきましたが、そうした患者さんの利便性を最大限に発揮できる立地と物件を選定してくれたのも両コンサルタントでした。その後、現在の山田裕之氏へと担当は変わりました質の高いコンサルサービスはしっかりと継続されていると感じます。

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円滑な診療運営と良質な医療サービスを支えてくれるスタッフ

小児科医療の基本は一般の内科と同様、患児をジェネラルな視点から捉えての診察です。特に子どもの場合は、身体に表れる症状にだけ視座すると、疾患の裏側に隠れた子どもの生活背景を見逃してしまいます。また、専門外の領域であってもADHDなどの発達障害の兆候を見つけ出し必要に応じて適切な医療につなげるのも、小児科開業医に求められる役割だろうと自覚しています。
ケアが必要なのは、子どもの疾患だけではありません。一人っ子や核家族、共働きといった生活環境の影響からか、子育て不安を抱く母親が少なくありません。不安を放置したままの育児が子どもの生育に悪影響を及ぼすと、そこからさらに悪循環を招く恐れがあります。ところが子育て不安への対応となると、子どもの診療を優先しなければならない私一人の手にはとても負えません。そこで、主任看護師を中心とした看護スタッフが、自身の子育て経験と医療知識を活かした適切なアドバイスで母親をケアしてくれています。身体とメンタル、両面のケアが当クリニックの高い付加価値を生み出しているのではないかと感じています。
また、現在の患者数は毎日100人以上で、予防接種の時期にはさらに大幅に増えることになりますから、順番予約システムを導入していても長い待ち時間が常態化してしまいます。そこで、看護師が待ち時間中に問診票と症状の聞き取りによるアセスメントをした上で診察室へと案内し、診察後は直ちに処置室へというシームレスな流れを作ることで数多くの患者さんへの対応を可能にしています。また、症状が重い子どもの診察順の入れ替えも基本的に看護師が判断してくれています。いわば、病院のトリアージナースのような役割を担ってくれているわけです。
クリニック運営を支えてくれているのは看護師だけではありません。事務スタッフも私の診療方針を理解してくれ、ご家族で過ごす大切な時間を損なってまで夜間や休日勤務を担っていただいています。
こうした風土は、トップダウンで導いたものではなく、主任看護師を中心とした自主的な勉強会や、「面談」と称するお茶会でのざっくばらんなコミュニケーションの中から醸成されてきたものです。

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経営の師は、妻、スタッフ、そして患者さん

開業医としての人生を歩み始めて、私自身にもっとも変化をもたらしたのは、他ならぬ妻の存在です。それまで医療とはまったく関わりのなかった妻が、開業時からずっとスタッフ・看護師との信頼関係を深めることで、私が診察に専念できる環境を作ってくれました。女性ならではの優しさに満ちた助言だけでなく、時には厳しい指摘で私を鼓舞してくれたことも一度や二度ではありません。仕事のリズムを共有し、ともに悩み、話し合い、一緒に解決してきた中で、夫婦の理解も本当に深まったと実感しています。
一方、院長である私は、日々の診療で病院の外来とは違う患児や親御さんとの濃密な関わりの中からさまざまな気づきを得て、現在の診療スタイルを構築してきました。あるべき論の医療ではなく、すべては実践から学んだわけです。
開業当初の私は、「こんな医療を実現したい」「自分一人でクリニックを守らなければなければ」といったやや前のめりの意識が先行し、まるで気持ちの余裕がなかったように思います。でも、そんな私が身近に接する人たちによって支えられてきたことを今改めて認識することができています。
クリニック開業が成功であったとしたら、それは私一人の業績では決してありません。妻、スタッフ、そして数多くの患者さんたちが、医院経営のすべてを私に教えてくれました。

医療法人宏笑会
中原ひろし小児科
理事長・院長 中原 宏

院長プロフィール

日本小児科学会認定医
日本小児科学会専門医
臨床研修指導医
PALS Provider(小児二次救命措置法)
 
2000年 福岡大学医学部卒業
2000年 広島大学医学部附属病院(現広島大学病院)小児科 入局
2000年 広島市立舟入病院小児科 勤務
2003年 市立三次中央病院小児科 勤務
2006年 洛和会音羽病院小児科 勤務
2010年 中原ひろし小児科 開設

Clinic Data

Consulting reportコンサルティング担当者より

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