同性の感性で女性患者だけを診る、という「選択」と「集中」

宅島美奈 先生

みなウィメンズクリニック
院長

神奈川県の中央部に位置する横浜市瀬谷区は、樹林が点在する自然環境に恵まれた住宅地だ。区内には大地沢の森林を水源に、豊かな水量を江の島に注ぐ境川と並行して、南北方向に4筋の河川が流れる。
「しみじみと清き流れの清水川 かけわたしたる二ツ橋かな」
慶長18年、瀬谷八景と命名し、この地を好んだ徳川家康公が和歌に詠んだように、往時より河川を中心に形成された環境と共存しながら人々の暮らしが営まれてきた。
現在の瀬谷区は、横浜へのアクセスが良好なこともあって若い世帯の流入が目立ち、高齢化の一方で総人口は増えている。
宅島美奈先生が、ご自身が生まれ育った瀬谷区に住居併用の戸建てクリニックを開設されたのは2014年12月のこと。「同性ならではの共有する視点から、女性に限定した専門医療を提供したい」というコンセプトを実践することで盛況を続けている。

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医療の道に結んだ社会奉仕活動

「みなウィメンズクリニック」は開設から3年目を迎えました。すべてが一路順風だったかといわれると、多少困った事態も経験しましたが、経営的には計画値を上回る収益を出し、何よりも、私の実現したかった医療が提供できていることを実感します。
私の医師としての原点は、中学・高校時代に所属したインターアクトクラブでの社会奉仕活動にまで遡ります。高齢者施設への訪問や、障がい児とのふれ合いのフィールドは海外にも広がりましたが、当時の障がい児は健常児に比べて短命とされ、もう一歩子どもたちに寄り添って何とか力になれないものかと考えていました。私にとっての医療はそうしたボランティアの延長にあったように思われます。
小児科医療を意識して入学した金沢医科大学でしたが、医療領域の興味は年次を重ねるごとに広がるものです。結局、私の進路を決定づけたのは、ポリクリでの心臓外科体験でした。開胸した状態で初めて大動脈に触れたときの感嘆、人の意思に関係なく心筋は収縮・弛緩を繰り返し、1回の拍動で約70mlの血液を絶えず動脈に送り続ける生命の神秘が、心臓を診ることの門戸を開いてくれたような気がします。
卒業後は地元に戻り、日本医科大学第二病院、外科・心臓血管外科(当時名称)に入局。同医局で受け入れた初の女性医師ということになりますが、先輩からは同期の男性医師と公平に扱っていただき職場環境には恵まれました。

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体調不良が現在の起点に

当時の外科医局は小規模で、心臓血管外科を専門とする医師が呼吸器外科や乳腺外科も掛け持ちしていました。
私は専ら心臓血管外科の研鑽を積んでまいりました。ひたすら場数を踏み、手技も上達したのですが、時に10時間以上に及ぶこともある手術と、術後管理、外来、病棟、検査……、の毎日で疲弊したのか、あるときから心身ともにとても不安定な状態に陥ってしまいました。それを救ってくれたのが漢方です。以前から同僚に薦められた書物を通して漢方への興味はあったのですが、著者を訪ねて話を聴き実際に服用して納得が得られました。“漢方は時間がかかる”という風説がありますが、私にはそうは感じられません。2週間程度で寛解とまではいかないまでも明らかな改善を実感することができました。以後、私は生薬の基礎から漢方を学ぶことになりました。
仕事の方は体力的な負担を考慮し、乳腺外科にフィールドを移しました。特に高邁なコンセプトがあったわけではなく、患者さんの大多数を占める女性には女性医師の方が安心感が得られやすいだろという至ってシンプルな考えでのことですが、私にとっては、“同性の視点で女性を診る”起点になったことになります。
乳腺外科であっても、外来での女性患者さんからは、さまざまな相談を受けます。それらは、内科や婦人科の領域、あるいはメンタルの不調であったりします。病院機能としては、適切な診療科につなげるしか術がないのですが、“私を頼って相談されている”という実感も同時にありました。女性特有の不調に、もっとジェネラルな視点からアプローチできたらという思いから、私は1年間婦人科に学びの場を求めることになりました。
乳腺外科、婦人科、そして漢方。私の医師としての目指すべきベクトルが定まってきましたが、これを病院の一医局で包括的に提供するのは当然不可能です。私の気持ちはクリニック開業へと大きく舵を切ることになりました。

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担当コンサルタントを選んだ直感

開業準備の手始めに、大手メディアが主催する開業セミナーに参加したのですが、当日講演をされていたのが日本医業総研の植村智之さんでした。他の協賛企業からもいろいろな説明を受けたのですが、植村さんの説明には一般論にはない確固とした根拠が感じられ、直感的な信頼感を持ちました。その後、医院経営塾にも参加したわけですが、これも植村さんの講義を聞きたいと思ってのことです。
開業候補地は、私が生まれ育った実家の目の前、自動車整備工場を営む父が第2工場用に借り受けていた土地です。ここでの開業は両親のたっての希望でしたが、私自身も愛着がありますし、何よりも医師になった娘ができる最大の親孝行ではないかと考えました。
話の筋道や数値の裏付けを重んじる植村さんのスタイルは、コンサルの現場で如何なく発揮されました。当初、植村さんは物件ありきの開業にやや不確実な印象を持たれたようでした。それでもここでやりたいと粘る私に、緻密な診療圏調査結果がもたらされたのは、コンサル契約から約2週間後のことでした。最寄駅からバスで約10分という距離が逆に幸いし、乳腺外科、婦人科ともに競合が少なく、駐車場台数を最大限に確保することで勝算が見込まれることが示されていました。心配された多額の資金調達も、植村さんの作成した事業計画書と数値を裏付ける詳細なマーケティングデータによって、問題なく実行されました。

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つながり続けた信頼関係

開業からほどなくして、ある女性の訪問を受けました。その方は、大学病院で私が初めて腹部大動脈瘤手術を執刀した患者さんの娘さんでした。手術は桜の開花の時季で、予後も良好だったことから、私が車いすを押して患者さんを屋外に連れ出したことが思い出されました。もう10年も前のことです。患者さんは、退院後、毎年桜の季節になるとそのことをご家族に話されていたそうで、娘さんが私に会いたいとお父様を連れてこられたのです。ほかにも、年に1~2回外来で診てきた方や、現在は大阪に引っ越された患者さんまでが会いにきてくださいました。私が開業したことを、みなさんはご存じないはずなのですが、前勤務先に問い合わせていただいたようです。そうした方々の来訪は心から嬉しく、何よりも医師冥利に尽きる思いがありました。
実際の診療では、ほぼイメージした通りの患者さんが集患できています。診療圏は思いのほか広く、綾瀬市や藤沢市からも来院いただいています。乳腺外科での検査では、悪性腫瘍が疑われるケースが月に2~3人もいらっしゃいます。患者さんは、部位に違和感を抱えていても、大学病院やがんセンターでの検査にはハードルの高さを感じられるのでしょう。身近な当院の存在が受診の動機づけとなり、そこで初期の腫瘍が見つけられ、適切な医療期間に紹介を出すことができれば、それが地域を守るクリニック本来の役割だと考えます。
また、女性に限定している安心感からか、「整形外科にかかっていても肩こりが治らない」「先生に不安な気持ちを聞いてほしい」といった専門外の患者さんまでいらっしゃいます。基本的には漢方を処方し、必要と思われれば適切な診療科を紹介するわけですが、患者さんの訴えに傾聴し悩みを共有するだけでも、ある程度落ち着きを取り戻されるようです。

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私にしかできない「質」を求めて

クリニック開業で、私にとっての医療は「Job」から「Business」へと変わりました。でも、それは単に医業収益を追いかけることを意味するものではありません。逆に、ひたすら時間に追われながら患者数をこなす大学病院と違い、患者さんの個別性を重視したサービスの「質」を高めること、そして医療にかかわるすべてを私一人の責任で行うことだと認識しています。
現在、毎日60人程度の患者さんに対応しています。これを開業の成功といえるのかどうかの評価は、まだ私の中では結論づけていません。数を診ようとすれば、まだ十分なキャパシティを残していますし、診察室も将来的な患者増に備えて二診体制が敷けるよう設計されています。でも、今は私一人で患者さんとじっくり向き合う時間を大切にしたいと思っています。
母は私にこう言いました。
「患者さんは、あなたに会いたくてクリニックに来てくれているんだから」と。

みなウィメンズクリニック
院長 宅島美奈

 

院長プロフィール

日本外科学会認定医・専門医
検診マンモグラフィ読影認定医
日本医師会産業医《医療概要》
 
2000年 金沢医科大学医学部医学科卒業
2000年 日本医科大学第二病院 外科・心臓血管外科入局
(現日本医科大学武蔵小杉病院 心臓血管・呼吸器外科・乳腺内分泌外科)
2002年 東戸塚記念病院 外科派遣
2003年 日本医科大学武蔵小杉病院 心臓血管・呼吸器外科・乳腺内分泌外科勤務
2008年 日本医科大学武蔵小杉病院 乳腺外科外来担当、イギアウィメンズクリニック、日本健康倶楽部横浜支部など勤務
2014年 みなウィメンズクリニック開院

Clinic Data

Consulting reportコンサルティング担当者より

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