田中先生が産婦人科に進まれたきっかけからお聞かせください。
卒業後の進路については、とくにこの分野をやりたいという考えもないまま、流れに任せるような感じで産婦人科へ進みました。大学では産婦人科医療の3本柱とされている、「周産期」「腫瘍」「不妊・内分泌」それぞれの面白そうなところを見つけてMDを取りましたが、病院勤務で主に取り組んできたのは腫瘍でした。
前勤務先は周産期医療に実績をもつクリニックでしたね。
周産期も勉強してみようと思いました。実際に勤務してみると、周産期医療は私がそれまでやってきた婦人科腫瘍とはまるで違う時間軸をもった世界でした。患者さん本位の姿勢は同じなのですが、妊娠、検診、出産が10カ月のスパンで次々と流れるなかを日々駆け抜けていくと、半年後には患者さんの顔すらも忘れてしまうことがあります。院長の立場でこのまま歳を重ねた後に、自分に一体何が残るのかのイメージがどうしても湧きませんでした。一方がん治療では、外来から検査、診断、手術や化学療法、緩和ケアまで一人の担当医が患者さんと濃密な時間を共有することになります。自分が何とかしなければという強いモチベーションをもった診療スタイルが私には合っているのかなと思います。
自院開業のきっかけも、ご自身の目指す医療を実現したいということだったのでしょうか。
病院とは機能が違いますし、小さなクリニックで提供できる医療は限定的でしょうが、患者さん一人ひとりに寄り添い、専門性を発揮しながら私なりの方法で地域医療に貢献したいという考えはありました。
ホームページに「悩みを共に考え解決したい」という先生のメッセージが書かれていますが、婦人科疾患の場合、人には相談しにくいデリケートな悩みがありますし、受診への不安も大きいと思います。そういう女性のメンタリティをどう受け止め、最善の医療につなげようとお考えですか。
良質な医療提供は必ずしも医師ありきではないと思っています。看護師も受付も、全スタッフが一体感をもってどう患者さんと接するか。そこは、皆に常に言っていることです。私の役割は、たとえていえば、舞台の脚本家のような存在だと思っています。メンバーそれぞれが担うべきプロの仕事がありサポートしあう。院長の私もそのなかの一員です。いま、自分がクリニックを経営しているわけですが、感覚的には経理担当もいない医療法人に勤務しているような錯覚を覚えます。前職院長の勤務が染みついたなかでの延長線上にいるような、医療法人に勤務しているのだけれど、理事長も幹部職員も誰もいないから自分でやるしかないという、ちょっと不思議な感覚です。
クリニックならではのチーム医療体制といえそうですが、スタッフ採用の基準やチームパフォーマンス向上を意識して実践されていることはありますか。
人選にはこだわりました。面接前に担当コンサルタントの山下さんからいただいた助言でもありましたが、重視したのは医療の経験値よりも人物本位ということです。仕事の技量は後からついてくるものですが、長い人生のなかで積み上げてきた人間性は、そう変えられるものではありません。とくに看護師長には皆を立てつつ、私をサポートをしていただいていますし、私のできることとしては全スタッフに長く勤務していただけるような環境づくりを心掛けたいと思っています。
先ほど受付からなかを覗いたら、午前診療が終わりホッとされたのか、皆さんが笑顔で明るく挨拶され、職場全体にとてもいい風土が感じられました。
現場のことは現場にお任せして、基本的に私がガミガミということはありません。失敗したときの責任はすべて私にあります。それでいいのです。失敗や上司からの叱責を恐れて萎縮してしまっては、本来もつ潜在能力が発揮できずに終わってしまいます。そのためにも、ある程度の自由度は必要でしょう。
院内勉強会などは実施されていますか。
先日も卸業者さんに協力いただき勉強会を行いましたが、今後も定例化したいと考えています。私自身、コロナ前までは大阪での土曜日の勉強会に出席していましたが、オンラインでの開催が主流になってしまい、婦人科の仲間たちと会う機会がなくなりました。コロナがようやく5類感染症に移行しましたので、また再開したいと思っています。
Googleでクリニックを検索すると、非常に好意的な意見が目立ちますし、先生も丁寧にレスポンスされています。診療現場だけでなく、一歩離れたところでの地域とのコミュニケーションということも意識されているのですか。
これは兄からの教えなのですが、自分の身に降りかかるあらゆる禍福は、偶然ではなく必然なのだから、すべてに感謝しなさいと。ちょっと宗教みたいですよね(笑)。Googleの口コミも、来院者が増え、待合が混みだしたことで、今後は否定的な意見も出てくるでしょう。そうしたすべてを受け入れて誠実に対応し、感謝することに心掛けたいと思っています。
待ち時間についてのクレームはありますか。
今日は木曜日で午前のみの診療でしたが、20人ほどの患者さんに対応したなかで、お一人から待ち時間への不満がでました。スタッフがお詫びをしたうえで私からも丁寧に説明し、最後は喜んでお帰りいただけました。
開業場所として選ばれた尼崎ですが、ご出身の兵庫医科大学西宮キャンパスが武庫川ですから、ある程度の馴染み感があったのではないですか。
それはありましたね。本当は大阪市内での開業をイメージしていましたので、アマゴッタを紹介してくれた山下さんは自宅からの通勤距離を気にして恐縮されていましたが(笑)。現在、実家のあった北千里の方から通勤しています。昔に比べて人口が大きく減少しましたが、逆に街全体が静かで、空気が濃く、澄んでいるように感じられます。片道約1時間の通勤ですが、子どものころの懐かしさなども味わいながら、この空気を吸えることが通勤のストレスを解消してくれています。
この区画は以前に産婦人科クリニックを営んでおられた吉田先生が逝去され閉院したわけですが、約3年の空白期間が地域患者さんに与えた影響はありませんか。
前クリニックが閉院して通院を止められた方や、他の医療機関にかかっていた患者さんが当院開院を聞きつけて戻ってこられたという感じでしょうか。やはり、アマゴッタの施設自体に人を呼び寄せるパワーがあって、調剤薬局さんの宣伝もあるのですが、同ビル内に入居する「前の皮膚科にかかっていて……」「乳腺科から紹介されました」「子どもが小児科にかかっていて」など医療モールの強みが存分に発揮されていると感じます。駐車場が確保されていることも大きいでしょうね。
尼崎市はJR、阪神線、阪急線の3路線が乗り入れています。アマゴッタのある阪神線尼崎駅とJR尼崎駅の直線距離は約2.5㎞ですが、診療圏が重なることによる競合関係が生じませんか。
東西平行に3路線が走っているわけですが、南北のアクセスが悪いのがこのエリアの特徴で、逆にいえば、それぞれの路線駅を中心に生活圏が形成されています。開院した直後は年配者が多く来院されましたが、皆さん阪神尼崎圏の方で「ここに婦人科ができて便利になった」と喜んでお帰りになりました。そういう意味の住み分けはできているのではないでしょうか。
婦人科は他の診療科では代替できない高い専門性を発揮します。そうした立場から、地域医療のあり方、クリニックの果たすべき役割をどのようにお考えですか。
当院が目指している姿は、駆け込み寺のようなイメージでしょうか。地域の方々の不安を最初に受け止める医療機関であり、当院で完結できることは全力を尽くしますし、できないことは他の医療機関につなぐパイプ役を担うことが責任だと思っています。機能分化された地域医療連携において、クリニックからの紹介状はとても大切です。
病院外来がまさにそうですね。
そうです。私が研修医だった時代は、大学病院でも一見の患者さんを受け入れてきたのですが、現在はワンクッション入れなければならず、当院がその役割を果たさなければなりません。とくに阪神尼崎地域には婦人科が当院の他に1件もありませんから、早期受診を促し、正確な診断をつけて適切な医療機関につなげる機能が重要になります。
これも先生の専門の一つだと思いますが、生殖内分泌領域でもとくに需要の高い不妊症についての相談は受け付けますか。
もちろん引き受けます。卵胞発育不全への排卵誘発剤が出荷調整で入手しにくい状態が続きましたが、ここにきてようやく目途が付き、生殖補助医療管理料の施設基準をもつ病院とも連携できましたので、一般不妊治療を開始しました。高度不妊治療を提供する医療機関が急増しましたが、初診の患者さんには気持ち的なハードルの高さがあります。そこでも、地域の駆け込み寺でありたいと思っています。
開業から4カ月目ですが、すでに損益分岐点売上も十分にクリアしたことで、経営への手ごたえのようなものは感じられますか。
元々、経営が軌道に乗るまでは1年はかかるだろうなと覚悟して始めました。実際、開業した3月の最初の2週間は毎日1桁。3週間目にやっと2桁という感じでしたが、赤字でも患者さんに喜んでいただけたらそれでいい、という思いで診療してきました。その間も定期的に山下さんに相談はしてきましたが、3週を過ぎて急角度で右肩上がりとなりました。土曜日も午前中だけではとても対応しきれないので、1時間診察時間を延長しています。
増患について、患者さんの受診のきっかけは何でしょうか。
同じモール内の調剤薬局がアンケートを実施されていますが、やはりウェブ検索が一番多いようです。アマゴッタ自体の知名度や展開しているウェブサイトにも助けられています。今日は、先月阪神尼崎駅に設置した看板を見て、「阪神尼崎のこんな近くにあるんや」と来られた患者さんもいらっしゃいました。「阪神」の広告表記にこだわった結果だと思います。本当に嬉しいことですね。
まだ落ち着かない部分もあるでしょうが、クリニック開業医となって私生活に変化はありましたか。
分娩に携わることがなくなった分、楽になるかなと思っていたのですが、開業したら別にやらなければならないことが山ほど増えて、相変わらず仕事に追われています。前職ではオンコールも含め携帯電話が手放せず、それがすごいプレッシャーになっていましたが、それを差し引いても自由な時間は制限されます。ただ、その忙しさも苦痛ではなく、明日はどんな患者さんとの出会いがあるのかなという楽しみがありますし、阪神尼崎で本当に求められている医療は何だろうと時間をかけて考えるべきことも沢山あります。クリニックはまだまだ発展途上にあります。
今回、弊社の山下明宏が開業支援を担当し、開業後の税務・会計顧問も税理士法人日本医業総研にお任せいただきました。弊社のご提供するサポートについて、忌憚のないご意見をお聞かせください。
日本医業総研は知り合いからの紹介で、「ここに絶対に電話しなさい!」と強引に言われ、勤務の合間に連絡し、折り返しの電話をいただいたのが山下さんでした。仕事を続けながらの開業準備は正直なところ苦痛に感じていて、おまけに山下さんも多忙な方でしたのでメールのやりとりが主でしたが、私の相談に素早く的確に応えてくれました。顧問税理士にも毎月訪問いただいていて助かっていますが、山下さんにコンサルを担当していただいたことが良かったと率直に思っています。
院長プロフィール
院長 田中慶介 先生
兵庫医科大学医学部 卒業
医学博士
日本産婦人科学会 専門医
母体保護法 指定医