ご実家が病院を経営されているということで、藤原先生が医療の道へ進まれたのは家業やご両親の影響が大きかったということでしょうか。
祖母が設立したあさぎり病院(医療法人社団吉徳会)は、子どものころの私たちにとっては遊び場でもあって、医療が身近にあったことは確かです。親族も含め、周囲の大人たちは医師が多く、私はとにかく人と接することが好きでした。人と深くかかわり、医療で人を治す仕事に進んだのも、育った環境や私の性格によるところが大きいのではないかと感じています。
ご祖母様、お母様から3代続いての女性眼科医ということですね。藤原先生ご自身は眼科医になる前提で医学部に進学されたのですか。
在学中は父と同じ産婦人科医や内分泌内科医を目指す気持ちがありました。学業として不妊治療や糖尿病など内分泌領域に興味があったのですが、将来を見据えたとき外科系内科系というよりも、一つの分野で外来診療から検査、入院、手術、術後経過の確認、退院、経過観察まで一貫して関わっていきたいと考えました。あと手芸や絵画がなどクリエイティブな分野が好きで眼形成に興味がありました。結果、マイナー科でありますが、眼科を選択してからは迷うことはありませんでした。
眼科医療の面白さはどこにあるのでしょうか。
術後の疼痛が少なく、回復も早いのが眼科の手術の特徴だと思います。awakeの患者さんは例外なく術中の緊張も強く、それを乗り越えて翌日クリアな視力を取り戻せた幸せに患者さんからいつも「ありがとう」の言葉をいただきます。これは眼科医にとっての大きな幸せです。私が白内障手術で特に重要視していることは、眼内レンズに置換する際のピントのコントロールです。誰もが若いころのように手元から遠くまではっきりと見たいと思うものですが、保険適用の単焦点レンズは万能ではありませんし多焦点レンズにも問題点が残っています。レンズの決め方として、例えば、行動範囲の限られた90歳の高齢者が家族と一緒に来院し手術を望まれたとき、彼女が今後安全に暮らすために必要なのは5m先の遠方ではなく、身の回りや足元に重点を置いた1m以内の範囲で裸眼の良好な視機能だという想定ができます。普段ディサービスにいくときにどんな様子か、ひとりで食事の用意をするか、お散歩をするか、テレビをみるか、新聞は読むのか、など問診を行ったうえで、ひとりひとりの術後の日常生活をどう捉え患者さんに提案するのか、そのイメージと患者さんの喜び(quality of vision, quality of life) を一致させることが眼科医の腕の見せどころでもあると考えます。
手術の腕はそのままクリニックで発揮される先生の強みということですね。
勤務医時代は白内障のほか、眼瞼下垂などの外眼手術に積極的に取り組んできましたから、これらを身近なクリニックで執り行えることは確かに強みの一つだと思います。外眼手術はもちろん形成外科でも対応できますが、私は保険範囲内の治療のみを行いますので、眼科医として視機能の向上と同時に眼表面への影響を常に考えながら手術を組み立ててアプローチするよう心がけています。クリニックの外来は一診のみでスペースも限られています。私一人ができる範囲ではありますが個々患者さんにやさしさをもって、必要な医療をしっかりと提供していきたいと思っています。
開業は早い段階から意識されていたのですか。
6年前の出産後より勤務医の私にとって仕事と子育ての両立は常に切り離せない課題になりました。将来は実家を継ぐのかなとおぼろげに考えていた時期もありましたが、何となくそれも主体性がなくて嫌だなと……。両親からは基本的に好きにしていいと言われてきましたが、小学校に進学するこどものケアをひとりでやるとするとこのまま転勤のある勤務医ではつじつまがあわなくなる(それでも勤務していた近畿中央病院は一般に比べるとずいぶん寛容な環境ではあり自由に8年勤務させていただきました)、しかし自分が身に着けた眼科の知識をもって仕事をすることには需要がある、と感じていましたので、眼科医は辞めたくない、そこで社会貢献と家庭を両立できる方法として開業を決心しました。開業については母も賛同して、ずいぶん協力してくれました。開業医には定年の概念がありません。子供ととともに成長しながら、生涯現役で納得のいく医療を続け、地域に還元できればと思いました。
今回の開業では、弊社の猪川が担当させていただきましたが、日本医業総研のサポート内容についてはご満足いただけましたか。
猪川さんと最初にお会いしたときの印象は、正直すごく怖くて……(笑)。
猪川の第一印象が恐かった(笑)!?
それまでネクタイを締めスーツを着込んだ方との接点があまりなかったし、開業コンサルという仕事も理解できていませんでした。病院と取引のある業者さんも無料で開業サポートをされていて、皆さん社交辞令の如くお追従を言われるのですが、それには「ホントかな?」と懐疑的でした。一方、猪川さんからは甘言はなく、経営への真剣さが口を衝いて出てきます。私はといえば医療以外に経営の勉強など何もしてきませんでしたから、何が正解なのか判断できない場面もありましたが、「お金をとる以上、猪川さんは私のために一番の方法を考えてくれるはずだ」と思うようになりました。実際、コンサルタントを信じなければ話は何も前に進みません。医業総研と契約をしてからは「猪川さんに任せればいいのだ」と開き直り、結果all rightと思います。
同じ建物の中の有澤先生(有澤眼科)がクリニックを閉められたということですが、事業承継というわけではないんですね。
有澤基先生と母は眼科医会での知己の間柄で、近畿中央病院勤務中は私自身が先生にお世話になっていました。閉院は有澤先生から母を通じてお聞きし、法人としてクリニックを承継したわけではありませんが、有澤先生が診てこられた患者さんが、そのまま多く来院され、立ち上がりの不安が随分と解消されました。カルテも開示許可をいただいて患者さんには従来通り診療を継続できています。有澤先生も伊丹眼科医会の先生方も、私の開業を歓迎してくださり、有澤眼科のスペースは7月から当院の手術室としてリフォームして使用しています。良好な人間関係がベースにあったとはいえ、閉院と開業のタイミングや実務的な引継ぎ事項、家主さんや業者さんへの対応などでは、猪川さんや山田さんが間に入って緻密な調整を図ってくださって、ずいぶん心安かったです。“承継案件”こそ、プロのコンサルタントが必要であると明言できます。
5月の開業からまだ3カ月ですが、立ち上がりは思いのほか好調なようですね。
内覧会もゴールデンウィーク中日にもかかわらず、1日で130人の方にお集まりいただきました。猪川さんの事業計画では、開業から1年以内での外来1日23人、月間手術4人で損益分岐点としていました。すでに外来は30人以上、先月(7月中旬)から始めた手術も3週間で白内障8例、外眼部7例、計15例を数えました。事業計画は上回っているはずなのですが、猪川さんはぜんぜん満足できないらしく、会うたびに、「先生、外来は毎日40人以上目標ですからね!!」と毎回ハードルを上げハッパを掛けて、にこっと帰っていかれます(笑)。やっぱり怖いです(笑)
自覚症状に乏しいことで医療につながるきっかけが掴みづらい眼科医療ですが、地域連携という面での実践はいかがですか。
ローテーターの始まった世代ですので、勤務医時代から他科の先生方との連携を特に大切にしてきました。周りに他科クリニックがたくさんあるので、開院のお知らせをお送りしたり、開業前に業者さんやインターネットで情報を集めて、患者さんが途切れる時間にご挨拶に回ったりして、積極的に自分やクリニックを覚えていただくようにしました。みなさん快く向かい入れてくださいまして、網膜症リスクが考えられる糖尿病患者さんの紹介などをお願いしました。実際、“全然眼科なんかいってなかった”のに、かかりつけの先生から当院受診をアドバイスされ初診され、大きな視力障害を起こす前に治療を導入でき入院手術を避けられた患者さんがおられました。私としては一方通行の紹介にならないよう、患者さんを通じて、網膜症のステージ分類や視力情報などの所見をお渡するようにしていて、先生方から好評をいただいているようです。眼底検査を行うことで、全身の高血圧や動脈硬化の血管への影響を推定することができます。狭隅角をもつ緑内障患者さんへの抗コリン薬など併用禁忌も、文章で共有して、眼科医の私にできる医療連携を心がけています。
開業されてプライベートな生活の変化はありましたか。
兼業主婦ですので、仕事で100%の体力をすべて使い果たすわけにはいきません。帰宅時間は勤務医時代よりも1時間ほど遅くなり、その分家事も少し手抜きになっていると反省しきりです。しかし、勤務医時代の綱渡りのような1分単位で遅刻のノルマ(保育園~病院~保育園~家事)がありませんし、自分のペースで仕事が進められることやクリニックにこどもを連れてこられるなど、開業前に想像した夢を実現できてると実感しています。スタッフが子供好きなので助かります。開業医生活にはまだ慣れませんが、これからは昼休みを利用して家事を済ませるなど、家事の質と効率を高めたいと思っています。
まい眼科クリニック
院長 藤原舞子 先生
院長プロフィール
2005年 近畿大学医学部 卒業
大阪大学医学部前期研修プログラム 東大阪市立総合病院(現市立東大阪総合医療センター)、大阪大学病院にて前期研修
2008年 大阪大学病院眼科学教室にて後期研修
2009年 大阪鉄道病院眼科 医員
2011年 近畿中央病院眼科 医員
2013年 近畿中央病院眼科 医長
2019年 まい眼科クリニック 開設