2018年5月の開業から約1年が経ちました。患者さんも順調に増えてきたなかで、運営の手応えのようなものはありますか。
患者さんの受診の反応という面では、勤務医のときよりも良好だと感じています。1年間の新患数が積み上がってきた現在、前勤務先から継続して診ている患者さんの割合は30%程度ですが、当クリニックの方が落ち着いて話ができるという方が何人もいらっしゃいます。
精神科領域への興味は早くからあったのですか。
理系のイメージが強い医学部ですが、私自身は文系脳の人間で、大学時代は文学や絵画などの芸術分野に興味があって本ばかり読んでいました。そうするなかで、文学者や、芸術家、それぞれの人の生きざまや感情、価値観に深く触れることに関心を持ち始めました。その関心が、私にとっての精神科医療の起点だったのかもしれません。
精神科医療のなかでも、日本で数少ない精神分析的精神療法に取り組まれたきっかけは何だったのでしょうか。
研修医時代は一般的な精神科医療を学んでいたのですが、芹香病院(現神奈川県立精神科医療センター)での研修中に知り合った先輩医師が東海大学の精神科医局出身で、精神分析を勉強されていました。人のこころの枢要を学べる可能性に興味を抱き、先輩のお誘いで東海大学の精神分析研究会に通い始めました。
当時の東海大学の教授は国内屈指の精神分析を臨床実践されていた岩崎徹也先生で、医局は全国から精神分析や精神療法の勉強に精神科医が集まり活気にあふれていました。その時代に岩崎先生から直接学びを受けたことが、私の精神科医としての進むべき道程を決定づけたと思っています。岩崎先生との関係はいまでも継続していて、クリニック開設時にもわざわざお越しいただきました。
2001年から勤務された関東中央病院精神科は児童思春期の治療や精神療法の実践、また国内でも数少ない児童思春期専門病棟を有します。そこでも精神分析は活かされましたか。
岩崎先生の退官後、精神分析でのより専門的な訓練が必要と考え、フロイトが創設した国際機構である国際精神分析協会に応募しました。そうしたなかで関東中央病院の前部長で日本精神分析協会元会長の小倉清先生ともご縁をいただき関東中央病院に勤務しました。
確かに児童思春期の精神疾患に実績のある病院ですが、精神分析の考え方を応用して治療に活かす文化の土台は一緒です。私が勤務したのは4年程度ですから、子ども専門を名乗るのはおこがましいと思っていますが。
厚生労働省の集計で、2017年の20歳未満の精神疾患患者数が27万人超と発表されました。これは15年前と比べて約2倍という数値ですが、この結果をどのようにとらえてらっしゃいますか。
ここ10~20年の傾向だと思われますが、日本も格差社会が顕著になって、子育てをする両親が精神的なゆとりを失いました。子どもを保育園に預ける家庭は多いのですが、親子間の濃密な関わり合いが質的に変わってきているように感じられます。精神疾患は文化的な世の中の風潮を反映します。企業に社員をじっくり育てようとする包容力がなく、長期の雇用も保障されないなかで、自力で生き残らなければならない。なかには燃え尽きてしまう方もいます。そうした家庭環境、社会環境が子どもの成育に影響を及ぼすところも少なくないと考えられます。
開業の動機についてお聞かせください。
「自分のオフィス」を持ちたかったということです。精神疾患患者さんと向き合うのは、病院のような公共性があって、複数の医師が交代で使用する空間ではなく、医師のプライベートオフィスであるべきで、特に精神分析においては基本にある文化です。この診察室の棚にある本はすべて私の蔵書で、置かれている調度品も私の好みで集めたものです。患者さんを招き、プライベートな関わりのなかで診察を行う、そうした歴史的に大切にされた文化にいつか辿り着きたいと思っていました。
医療提供上の特徴や強みをどのように発揮されていますか。
私の医療の基本は、個々患者さんのパーソナリティをどう理解していくかです。病気を近視眼的に診るのではなく、人をパーソナリティをもった存在として認め、その方がどうして病気になったのかという視点で診ていきます。患者さんの生い立ちや家族の歴史など一通り理解したうえで関わりを模索し、病気にアプローチしていきます。これは他の精神科医もやっていることですが、それをより深く探っていこうというのが私のスタンスです。
患者さんをこの診察室にお迎えし、「では始めましょうか」と治療を開始します。精神分析ではカウチを用いますが、より頻度の少ない精神分析的精神療法では椅子に座っていただきます。私は通常の外来から精神分析療法まで、患者さんそれぞれに合うやり方を用いたいと思っています。精神分析や精神分析的精神療法では理解すべき課題を私から提示することはなく、患者さんの語りを通して無意識を浮き彫りにし、それぞれに固有の悩みを理解していきます。お帰りになるときは、「それではまた」と一礼してお見送りする。50分間単位での「出会いと別れ」は一般的な医療における医師と患者という関係性を超えたものだと思っています。そのつながりに医師の白衣は必要としません。
精神分析療法でのアウトカムはどのように評価するのでしょうか。
精神分析的精神治療や精神分析療法は患者さんの個別性が高く、育成歴や心の在りようを丹念に掘り下げることもその方固有のものになります。その個別性は、ある指標を基準に比較できるものとは言い難く、エビデンスとは馴染まない部分もあります。ですから治療の終わりを予め設定することはありません。快復の判断も私と患者さんの両者でやっていますが、生き難さという主観的な悩みを扱うことは、症状の一時的な軽減に焦点を当てる治療とは異なります。
薬物療法についてのお考えや処方方針についてお聞かせください。
辛い症状を薬で緩和させるのは大事ですが、患者さんの悩みを薬で麻痺させるような関わりは持ちたくありません。ベンゾジアゼピン系抗不安薬などに依存性が認められるのは心地いいからです。その心地良さで頭を麻痺させるのは治療の目的ではありませんから、処方は最小限にすべきだと考えます。精神療法による患者さんの苦しさ、生き難さに耳を傾けるという関わりから、一緒に解決しようとする作業を主とした場合に、当クリニックでは薬を処方していない患者さんも数多くおられます。
日本医業総研は高野先生(吉祥寺たかのメンタルクリニック、高野佳也院長)から名前を聞いていたということですが、実際開業サポートを受けての印象はいかがですか。
高野先生とは精神分析の勉強会で長くお付き合いさせていただいています。開業における私の思いは、患者さんを数多く呼び込んで繁栄することではなく、文化的な活動を念頭においた拠点づくりにありました。そこには一般的な明るく清潔な医療機関ではなく、ちょっと暗がりがあるような癖のある、例えていえば木の洞のようなイメージを実現したいと考えました。開業コンサルというと、経営のベースに医療関連業や不動産業などを持つケースが少なくないと思われますが、医業総研にはそうした業界のしがらみがなく、内装業者やホームページ制作会社の選定などでも公平な比較検討ができました。私の細かな要望すべてに制約を設けず、自由度の高い開業ができたことには納得しています。
開業立地も、藤沢のほか戸塚や上大岡なども候補で、医業総研の三木さんとは広域なマーケティングを実施しましたが、競合が多いとはいえ既存患者さんの利便性や精神分析療法のターゲットを考え藤沢を選んだことは正解だったと感じています。
藤沢は町全体の雰囲気が明るく、何でも受け入れる懐の深さもあります。また、経済的負担の少なくない精神分析療法に対する意識の高さも感じられます。私は患者さんと一人ひとりと向き合いながら、自ら作った樹洞に棲み着く虫の如く一生を送るのもいいのではないかと思っています(笑)。
こもれび診療所
小林要二 先生
院長プロフィール
日本精神神経学会認定 精神科専門医
日本精神分析学会認定 精神分析的精神療法医
日本精神分析学会認定 スーパーバイザー
日本精神分析協会認定 精神分析家
1992年 山梨医科大学医学部医学科 卒業
1995年 東海大学医学部 助手
2001年 関東中央病院 精神神経科
2005年 林間メンタルクリニック
2018年 こもれび診療所 開設