大学卒業後に入局された外科のなかでも、ハードな心臓血管外科へ進まれた理由からお聞かせください。
私が入局した当時の日大第二外科教室は心臓血管外科と呼吸器外科、消化器外科で構成されていましたので、胸部領域を中心に一通りの勉強をすることができました。外科医療との最初の接点は、私が小学生のとき、祖父が急性大動脈解離に倒れたのを目の当たりにしたことです。助かる確率は1%という医師の説明に、私はただ回復を祈ることしかできませんでしたが、10時間以上に及ぶ手術で祖父は奇跡的に死線を潜り抜けました。医療の世界などまだ何も知らず、でも命を救うことに懸命に立ち向かう外科医の姿が子ども心に焼き付きました。
大学院修了後、先生は災害医療センターに出張されたわけですが、三次救急指定ということもあって外科は大変だったのではありあませんか。
夜間も休日も関係ない忙しさでした。心臓血管外科のなかでは最若手でしたから、ICUで予後を管理しながら夜を明かすのは日常のことでしたし、30時間以上の連続勤務を終えた後に救急搬送された患者さんに対応することもありました。休日、家族サービスで外出していてもケータイで呼び出されては妻と子どもにはいつも「ゴメン」と……。でも、そのおかげで、仕事の合間の数分で食事を摂ることと、1分間だけ眠る技は身につきましたけど(笑)。
その後のみつわ台総合病院での勤務で、下肢静脈瘤の業績を積まれたのですね。
下肢静脈瘤外来を立ち上げたのは私ではありませんが、ほとんど一人で外来からオペまで運営してきました。心臓血管外科は患者さんの生死に直結する領域です。一方、下肢静脈瘤が原因で命を落とすことはありませんから、軽んじられる風潮がありました。先輩医師は急性期の患者さんを最優先しますから、自然と若い私に下肢静脈瘤の出番が回ってきました。ところが、取り組んでみると、それまでの外科の世界と違った医療の面白さが分かってきました。
もう少し詳しくお聞かせください。
術者の繊細な手技で人の命を救うことは、心臓血管外科医にとってのダイナミズムもありますし、患者さんやご家族からも感謝されます。でも、患者さんにしてみれば喜びの一方で、もう二度とこんな辛い思いをしたくないというのが本音でしょう。下肢静脈瘤の場合、相談相手のいない長年の悩みから解放された、ひざ丈のスカートを穿いて外出できるようになったといった生活の楽しさを取り戻せたことへの純粋な喜びです。症状の劇的な改善は人をポジティブに誘います。そうした患者さんの声が私のモチベーションとなって、これまで3,000例以上の手術を重ねてきました。
自院の開業を意識されたきっかけは何だったのでしょうか。
かつての下肢静脈瘤の外科治療では、特殊なワイヤーで静脈を抜くストリッピング手術が主に行われてきました。これは半身あるいは全身麻酔下での手術だったため術後数日間の入院が必要でしたが、2011年に血管内焼灼術が保険適用となったことで、主流は一気にレーザーカテーテルへと移行しました。局所麻酔、低侵襲に加え手術は短時間で日帰りできますから、クリニックでも十分に対応可能となったわけです。私のライフワークとして下肢静脈瘤を究めてみたいと思いました。
目黒駅前テナント物件での開業ですが、開業エリアのイメージは最初からあったのですか。
特に決めていたわけではありません。40代以上の女性をターゲットに、日本医業総研の小畑さんとの共同作業で、都内に限らず競合のないエリアを広域に調べました。候補地が浮かんでは消え、どうしたものかと悩んでいたところ、実はとても身近な目黒、恵比寿の高感度エリアがその条件に該当したというわけです。小畑さんには、その都度マーケット診断による数字的な裏付けを検証していただきました。
齋藤先生であれば、一般的な外科や循環器全般に対応できると思うのですが、下肢静脈瘤という特定の疾患に特化しての開業に不安はありませんでしたか。
もちろん不安だらけでした。小畑さんの取り計らいで、同じ下肢静脈瘤で開業された坂本先生(なんば坂本外科クリニック、坂本一喜院長)からもアドバイスをいただき、開業当初は冬場対策を兼ねて鼠経ヘルニアも併科しようとしましたが、結局は下肢静脈瘤一本勝負としました。変な例えですが、美味い餃子が自慢の店で、寿司も握って客数を増やそうとは思いませんよね。立ち上がりの苦戦は覚悟のうえで、専門特化にこだわりました。
手技はもちろんですが、先生ご自身の強み、あるいは病院の外来とは違うクリニックならではの提供するサービスについてどうお考えでしたか。
患者さんの外科医に対する「恐そう」なイメージを払拭したいと思っていましたが、幸い私にはあまり外科のハードルを感じずに話しやすいと思われているようです。病院勤務での、ひたすら数をこなす診療スタイルにはずっと違和感がありました。提供する医療の専門性が高ければ高いほど、大切なのは効率性よりも患者さんの十分な理解と信頼関係だと思っています。私の実践として初診時の対話にはたっぷり30分かけています。まずは、患者さんの訴えにとことん傾聴すること、そのうえで治療についての私の考えを分かりやすく説明するように心がけています。
下肢静脈瘤の場合、疾患についての理解が浅いだけでなく、どの診療科に相談すればいいのかも分からず受診の機会を逃している方が多いように思われます。
根本的治療は外科の領域ですから、かかりつけの先生から加齢による症状だと放置されたり、圧迫療法にとどまってしまうのは医療機能上致し方ないのかなと思います。そういう意味では、患者さんへの啓蒙というより、他科の開業医の皆さんに理解していただきたいなと感じています。自身の専門領域の治療だけでなく、患者さんを適切な医療に導くことも開業医の役割です。メディアに積極的に露出しているのも、患者さんだけでなく同業者に見ていただきたいなという思いがあってのことです。今月、「専門医が教える 世界一わかりやすい下肢静脈瘤の治療と予防(医学通信社刊)」という書籍を上梓しますが、こうしたコツコツとした活動の積み重ねが大切だと思います。
先日出演されたテレビ(2/9世界一受けたい授業[日本テレビ系列])の反響も大きかったようですね。
オンエア中から、ウェブでの診察予約数が急上昇するのがわかりました。現在、手術予約は2カ月先まで埋まっている状況です。テレビの影響は確かに大きいのですが、それだけ下肢静脈瘤に行き場のない悩みをもつ方が多いことの証左だと感じています。
スタッフの対応にも好感が持てますが、育成やチーム力醸成にどのように取り組まれていますか。
開業時から常勤している妻がリーダーシップを発揮して、チームを良い方向にまとめてくれています。それまでは医療機関での勤務経験もない専業主婦でしたから、私自身妻の隠れた才能に驚いているのですが、いまや彼女の支えなくしてクリニックの運営は成り立ちません。私は一職人として工房を行き来し、腕を発揮することに専念できています。
最後に医業総研のサポートについてのご意見をお聞かせください。
小畑さんのサポートに並行して、開業後の税務・会計を田村さん(税理士法人日本医業総研)に担当していただいています。私は経営数値には素人でしたし、軌道に乗るまでには苦しい時期もありましたが、田村さんには厳しい指摘や的確なアドバイスを通して丁寧に対応していただきました。サポートを受けるなかで、収益改善だけでなく経営者としての自覚も喚起されたように感じています。
目黒外科
齋藤 陽 先生
院長プロフィール
医学博士
外科専門医
脈管専門医
日本血管外科学会認定血管内治療専門医
身体障害者福祉法指定医
下肢静脈瘤に対する血管内焼灼の実施基準による実施医、指導医
1997年 日本大学医学部 卒業
日本大学医学部 第二外科入局
1999年 日本大学大学院 入学
2003年 日本大学大学院 博士課程修了
2004年 独立行政法人国立病院機構災害医療センター 心臓血管外科
2005年 みつわ台総合病院 心臓血管外科
2016年 東京ミッドタウンクリニック
2017年 目黒外科 開設