医師不足による環境悪化で病院勤務医からの撤退を決断
T先生はK大学医学部出身の内科医。
H県内地方都市の某自治体病院に勤務していたが、新医師臨床研修制度の影響で数年前から、大学医局からの医師派遣がスムーズに行かなくなった。地方で顕在化する医師不足の荒波に呑まれ、内科医が疲弊して次々に退職していった。
T先生を含めて2名体制となったことで、勤務環境も激しさを増した。T先生は40歳代半ばで退職することを決意した。しかし、ないかのリーダー的存在で責任も重く、自分から“辞める”とはなかなか言い出しにくかったので、水面下で新しい勤務先を探していたところ、某企業から“産業医として仕事をしないか?”との打診があった。近隣で新規に工場を造るので100人以上の社員を雇用するという。そして前職に見合う報酬額で来て欲しいとの話だった。さらに医療機器などT先生の望みをほぼ100%受け入れて、万全の診療体制を整備するということだった。工場完成後にその会社で働くことに決めたが、3ヶ月程経って工場を誘致するとの計画が、なんと企業側の都合で立ち消えになってしまったのだ。にっちもさっちも行かなくなったT先生が、病院勤務医の将来性に見切りをつけて開業を決断し、以前、日本医業総研がコンサルティングを担当した開業医の紹介で猪川に相談を持ちかけたのは、そうした切羽詰まった状況の時だった。過去の経験からリスクに対して敏感な先生で、立ち上げに不安を感じながらのスタートでもあった。
何よりも問題なのは、自己資金が殆どなかったことだ。
先生には自宅を建てた時の借入金返済が残っており、資金調達の大部分を借入によって賄わねばならないケースで、成功の「担保」となるのはT先生のこれまでの経験に裏打ちされた高い「技術」だけだった。先生は消化器や循環器の患者も診ることの出来る守備範囲の広いドクターで、内視鏡やエコー等にも対応可能だった。
猪川はそうした先生の特徴を生かし、“不特定多数で普遍的な疾患の患者を、普遍的に診る”ことの出来る、地域に密着した「かかりつけ医」的な開業スタイルを提案した。
負担少ない「建て貸し」とは言え
約6000万円の資金調達が必要
T先生の自宅は山手の裏手にあり、これまで勤務していた自治体病院には1時間半かけて車で通勤していた。
最初にK市で継承物件が見つかり、先生は売主と直接交渉したが、提示された買収金額が余りにも高額で、とても手が出せるものではなく諦めざるを得なかった。先生の希望は自宅から近い立地であり、自己資金が50万円しかなかったことから、ビルのテナント開業以外に選択肢はないと思われた。
自宅の近辺は新規開発地域のため、最寄りの駅前以外にテナントビルはなく、殆ど更地だけの場所だった。良い物件がなくて困っていたところ、猪川の知り合いのハウスメーカーから、これまでにT先生が車で通っていた勤務路でスーパーとホームセンターが一体となった大規模商業施設を建設するプランがあって、近隣の地主が土地の有効活用を望んでいるとの情報が入ってきた。詳しく聞くと商業施設のテナントではなく、商業施設に入っていくメイン道路の交差点の手前の立地であった。T先生の自宅からは離れているものの、これまでの勤務経路にあって、先生には十分な“地の利”がある。されに商業施設が完成した暁には、多くの人々が買い物客として流入する場所に位置し、動線上からも非常に有利な場所と言える。周りは田んぼばかりで、古くからの集落が存在し、周囲には医療機関が殆どないため、地域住民からは歓迎されるし、競合も少なく条件は最適だ。
何よりもラッキーだったのは、オーナーによる「建て貸し」が可能だったことだ。じぶんで戸建てを建てていくのとは違って、オーナーが診療所を建築し賃貸ししてくれる建て貸しは負担がまるで違ってくる。T先生の負担としては内装工事や医療機器等の設備投資は当然必要だが、それ以外のコストは殆どスタッフの求人・人件費と家賃だけで済むことになる。
地主であったオーナーは地域に貢献したいとの思いがあった。特に医療に対する思い入れが強く、診療所を建てることでその思いが実現できるという考えに至った。そうしてT先生による内科診療所と、別棟に歯科医院を開設する2診体制の施設が、ハウスメーカーの設計・施工で建設されることに決定した。歯科医師はハウスメーカーが、すぐに招聘してきた。
業者と交渉すると、内装工事・医療機器・運転資金含めて約6000万円必要なことが分かり、T先生は自己資金50万円を除く約5950万円の資金調達を新規に行うことになった。
資金調達は無担保でも
融資可能なリース会社による事業融資を活用
猪川は資金の大部分を、国民生活金融公庫(現日本政策金融公庫)とリース会社による事業融資に頼ることを提案した。
銀行は以前のように医師に対して好条件で融資はしてくれない時代になっている。リース会社は無担保・無保証で5000万円くらいは融資してくれるため、T先生のような借金を背負っているケースでは利点が少なくない。
ただ殆ど全額借入のため、損益分岐点は高く設定する必要があり、当初は高い損益分岐点をクリア出来るだけのマーケットであるのか否か、シビアに見極めることが要求された。大規模商業施設を造るハウスメーカーが、ショッピングセンターのマーケットリサーチを実施していたため、そのデータを診療圏調査に反映して、有効に活用することが可能だった。ショッピングセンターが開設されることで診療所の認知度も向上する等の、副次的な効果は計り知れない。
ただし、それを裏付けるための綿密な事業計画書と、診療圏調査報告書があって初めて可能になる資金調達方法だった。
郊外型という立地特性から、自動車で来院する患者の多いことが予想される。地主の土地には既に相当な台数が入る駐車場のスペースも確保されており、5~10Km離れていても、患者の来院は可能と想定され、診療所のマーケットは広い。ただ内科であるために外来患者数は少し厳しめに予測して、猪川は1年かけて1日30人位にまで持っていければ上出来だろうとの試算でキャッシュフロー計画を立て、資金調達を行った。診療所の役割はゲートキーパーとしてプライマリケア全般に対応し、必要に応じて近隣の高機能総合病院に紹介するという、“かかりつけ医”の開業スタイルだ。
設計士と相談の上で、施設づくりは奇をてらわないで、“かかりつけ医”らしいオーソドックスなアメニティを追求した。対象患者が農家や地元住民になるので、余り突拍子もない施設を造っても、高齢の患者等は馴染みにくいと判断したからだ。唯一、見込み違いだったのは、待ち時間の短縮を意図した予約システムの導入。予約システムは基本的に携帯電話やインターネットを使うが、農家の高齢患者にはミスマッチで、地元住民の利用者は殆どなかった。
内覧会の開催と地元名士の住民へのアピールが
大きな宣伝効果
開業時の広報活動としては、内覧会を開催したが多くの地域住民が参加し、新しい診療所を「広報」するのには効果的だった。農家が中心の地域で内覧会を行う医療機関は今までになく、非常に珍しかったのだ。患者にとっては予備知識なく診療所にかかるよりも、事前にドクターやスタッフ、医療内容や設備に関して知っておく方が、心理的に安心感を持てるのは当然だ。この他ショッピングセンターにポスターを貼ったり、ポスティング等も行ったが、大地主で地元の名士であるオーナーが幾分自慢話のきらいもあるが、地域の会合や集まりで、“おらが町の診療所”を積極的にアピールしてくれたのは、大きな宣伝効果になった。開業して1年以内に1日の平均患者数は30人をオーバーし、損益分岐点に達した。診療所の性格上、外来だけでなく訪問診療も既にスタートしている。
病院の勤務医時代と比較すると通勤時間は半分以下に短縮され、収入も大幅に増えた。懸念事項となっていた借入金の返済も、もうすぐ完了可能と見られる。院長であるT先生に“地の利”があったことが、立地選定の最大のポイント。昔から存在する集落と、宅地開発で人口が流入する人口増加地区の「両面」からのマーケティング対応が、開業を成功に導いたと言えよう。