北海道北中部に位置する旭川市。その地名はアイヌ語の旧称、tup(日)・pet(川)に由来するとされる。高燥平坦で肥沃な大地を崇め、神々とともに生きてきたアイヌ伝承のチセが復元保存され、原生林を拓いた明治初期の史跡も点在している。 現在の旭川市は、道内では札幌市に次ぐ約33万人の人口を有し、道北の経済・産業・文化の中核を形成。JR4線が乗り入れる鉄道路線や整備の行き届いた国道は社会インフラの終起点を担っている。
リバータウンクリニックは、1997年に鈴木康之先生を理事長に据える医療法人立の有床診療所として開設された。同時に、地域医療を補完する訪問看護ステーションと老人デイケア施設を併設している。在宅診療、在宅ホスピスケアにも取り組み、密な地域連携とともに24時間365日体制の医療提供をリードしてきた。
クリニック開設から25年後の2022年4月、リバータウンクリニックは横田崇医師に引き継がれた。鈴木前院長と同じ旭川医科大学の出身で、勤務医時代は主に呼吸器疾患に専門性を発揮しつつ緩和ケアにも取り組んできたが、旭川の在宅医療の火を絶やしてはならないという決意をもって承継の手をあげられた。
地域医療の望ましい姿を先駆的に実践する
まず、前院長の鈴木康之先生と、奥様で前副院長の弘子先生からお話をうかがいます。有床診療所として開設されたリバータウンクリニックですが、外科医の鈴木先生と、内科を専門とする弘子先生の役割分担、それと、在宅診療や併設された訪問看護ステーション、デイケア施設などの運営も当初からのお考えだったのでしょうか。
(鈴木康之前院長)有床診療所として、外来は小児科、内科、外科を2人で均等に、病棟は私が担当するという計画でしたが、2000年に介護保険制度が創設されることになり、当時クリニック開設に尽力いただいた恩人から、今後は在宅・訪問診療の需要増にどう対応するかが大事になるという助言をいただきました。そこで、在宅診療への対応と、老人デイケア、訪問看護ステーションも併設することになったのです。医療法人を設立してのスタートも、付帯事業を行うことの意義を道庁に掛け合ってなんとか認可をいただきました。とはいえ、私自身在宅に関しては経験もなく、まったくゼロベースからの立ち上げでした。
在宅診療では、24時間365日に対応する在宅療養支援診療所、さらに2012年には基準の厳しい機能強化型在宅療養支援診療所に機能を高められました。運営には先生方の努力だけでなく、地域内での密な連携も不可欠になるわけですが、これまで、どのように取り組んでこられたのですか。
病院勤務医の時代から末期がんの患者さんなども診てきましたので、最初はそうした方の緩和ケアを中心に在宅のノウハウを習得していきました。それが地域の口コミに広がるとともに、旭川医科大学や旭川厚生病院などの基幹病院からも患者さんの紹介が相次ぐようになりました。そこで、病床を閉めて外来は基本的に副院長に任せ、私は金曜日を除き在宅に専念できるようにシフトしていきました。機能強化型在宅療養支援診療所となった際には、地元の今本内科医院の今本千衣子先生、旭川神経内科クリニックの橋本和季先生たちと、旭川市医師会の運営機関として「地域ケアネット旭川」を立ち上げ、私が委員長、お二方には副委員長に就いていただき地域連携を深めてきました。多職種連携情報システムの「バイタルリンク(帝人ファーマ)」も私個人で導入したものを医師会に移管していただいたほか、旭川医科大学病院、旭川厚生病院、市立旭川病院が地域がん診療連携拠点病院の指定を受け、その連絡協議会にも私と今本先生がオブザーバーとして協力しました。そのほか、上川中部の保健所と上川中部の町村との連携も、医師会の立場で参画し、連携策定に努めてきました。こうして、徐々に皆が顔の見える地域連携を構築していったわけです。
病床を閉め、高まる在宅診療ニーズに応える
地域では何名の在宅患者さんに対応されてきたのですか。
常時140人前後、年間トータルでは260人程度でしょうか。終末期の患者さんも少なからずおられ、これまでは年間30~50人程度の患者さんを看取ってきましたが、コロナ以降増加し、昨年は81人がお亡くなりになりました。患者さんとご家族を支え続けることを使命とする在宅医とはいえ、60歳を過ぎ、夜中にご家族からお迎えの連絡を受ける日が続くと、どうしても体力的な不安は拭えませんでした。
高齢者に見られる合併症や併発症、とくに多い糖尿病などについても、リバータウンがゲートとなって、地域連携で対応してきたということですね。
在宅はもちろんですが、外来においても副院長が内科領域全般に対応しつつ、糖尿病地域連携パスに参加して、患者さんを支えてくれました。
(鈴木弘子前副院長)糖尿病パスは2人主治医制の循環型医療連携で稼働させ、普段の検査や治療はかかりつけ医が行い、半年に1回などの間隔で専門医が合併症の検査など患者さんをケアしてきました。
これだけの大きな施設と、医療機能を維持するためには、多職種でのチームパフォーマンスが重要になると思われますが、組織運営はどのようにされてきたのですか。
(鈴木先生)私が専ら診療に専念してきた一方で、クリニック運営を中心的に担ってくれたのは副院長でした。院内の状況を把握し、整理・整頓、人員の配置等にも常に目を配って、事務の責任者と二人で考えて経費を見直すなど、さまざまな課題に対して適宜改善に取り組んでくれました。
開設から25年間守ってこられたクリニックを、次代に承継しようとお考えになった理由をお聞かせください。
6年前に病気を患って手術し、2週間の入院を余儀なくされました。外来は副院長にお願いできるとしても、在宅の方に空白が生じてしまいました。外来であれば紹介状を出すことで切れ目のない医療を維持し続けられるのですが、在宅患者さんを引き受けてくれる医療機関はほとんどありません。そこで、在宅診療も手掛ける道内大手医療グループの傘下に収まり、もしもの事態に医師を派遣していただく可能性を模索しましたが、話はうまく進展しませんでした。かといって、このままの状態で第三者に事業承継しようとすると、不動産を含む資産評価が高額になり、個人の先生の承継開業として、あまり現実的とはいえませんでした。そうした折に、就労支援事業に取り組む企業がデイケア部分を利用するためのクリニックの土地と建物を購入してくれることになり、私どもがテナントとして借りることで承継しやすい条件が整いました。
それで、私ども日本医業総研にお問合せをいただいたということですね。
(弘子先生)日経ヘルスケアで紹介されていた、日本医業総研が上梓したクリニック事業承継の書籍を購入したのが、問い合わせのきっかけとなりました。コロナ禍でしたから東京のコンサル会社では難しいかなと心配しましたが、同社の植村智之さんと、クリニック事業承継を協業するメディカルトリビューンの渡辺昭宏さんにはオンラインと対面両方で丁寧な承継相談に応じていただきました。
クリニックを承継するといっても、鈴木先生はまだ60代前半の若さです。医師をお辞めになるわけではないでしょうが、今後のライププランについてお聞かせください。
(鈴木先生)25年間、夫婦で旅行も行けずに休みなく診療をしてきましたから、出身地の札幌に戻って少しゆっくりとしたい気持ちはあります。仕事の方は、7月から介護老人保健施設の管理医師となることが内定しています。高齢者医療にも長く携わってきたので、認知症などもそれなりに対応できると思っています。
(弘子先生)私は札幌市内の病院で院長を務める医局の後輩から、検診の常勤医としてお声がけをいただきました。体力的な負担が少ない範囲で現役を続けてまいります。
クリニックを承継していただくならこんな先生に、というイメージがあったと思いますが、実際に横田崇先生と面談されての印象はいかがでしたか。
(鈴木先生)私が開業したときと同じ38歳という年齢には偶然とはいえ感じ入るものがありましたが、真面目そうな先生というのが第一印象でした。経歴を見ても、ターミナルケアや在宅も経験しておられるので、お任せして大丈夫だろうと思っています。創業者としてとくに語り継ぐほどの歴史はありませんが、旭川の地域医療に真摯に向き合っていただけたらありがたいと思っています。
地域医療の火は消さない
ではリバータウンクリニックの経営を承継された横田崇先生におうかがいします。ご専門領域は呼吸器内科だったということですが、2013年から吉田病院(医療法人慶友会)に移られ、その後緩和ケアセンター立ち上げにも参画されたというご経歴ですね。
(横田崇新院長)大学病院では呼吸器内科を専門としてきましたが、転職先の吉田病院ではかなりの数のがん患者さんに対応してきました。その経験から2016年の緩和ケアセンターの設立メンバーとして声をかけていただきました。
元々、横田先生のお考えの中に「開業」というお考えはあったのですか。
正直なところ開業という考えはなく、ずっと病院勤務医のまま患者さんを診ていくのだろうと思っていました。出身地の兵庫県で暮らす親も70歳近くになるので、あと10年もしたら地元に帰って勤務先病院を探すのかなとぼんやりと考えていました。
今回、前職場で一緒に勤務されていたベテラン看護師の山中恵さんと、居宅介護支援にも精通するソーシャルワーカーの村田知輝さんが運営に加わっての事業承継ですが、これはお三方で組むことが前提だったわけですか。
旭川市ではニーズに対して在宅診療の提供が不十分だと感じていましたし、コロナ禍で在宅での緩和ケアを希望される患者さんが増えることも予測できていました。私自身がオピオイドの扱いに多少の心得があったことと、前職の吉田病院では3人がチームで動いていたこともあって、今回一緒にやろうということになりました。実際のところ、病院とは医療体制が異なるクリニックでどう対応しているのかを調べるなかで、鈴木先生の話をうかがい、承継を決意しました。リバータウンクリニックのことは勉強会などを通じて知っていましたし、退院後の在宅療養患者さんには病診連携の形で受け入れをお願いしてきたので地域に不可欠な医療機関であることは認識していました。
前院長に学ぶスピード感と丁寧さ
承継までの約1カ月間の引継ぎ期間中に得られた鈴木前院長からの学びはありましたか。
鈴木前院長の診療スタイルは、スピード感がありながらも手抜きのない丁寧さが損なわれていません。経験の差は当然あるとはいえ、それ以上に患者さんとの信頼関係がベースにあるように感じられます。少しでも追いつけるように努力していきたいと思います。
鈴木前院長が構築された医療基盤、患者さん、施設、人脈といった資源を引き継ぐなかで、横田先生の診療スタイルや強みをどう発揮されようとお考えですか。
二人の医師で運営されてきた診療を私一人が担うことには無理があります。週に1日、消化器内科の先生に外来を手伝っていただくほか、診療にかかわることは看護師に、弘子先生が主導してこられた事務的なことは極力医療事務スタッフに分散させることで、私が診療に集中しやすい環境を整えつつあります。もちろん、経営責任は重大ですが、まずは提供するサービスのクオリティを下げずに運営していくことだと思っています。旭川でも全体的に医師の高齢化傾向が見られます。リバータウンクリニックの存在はもちろん周知されていますが、クリニックを引き継ぐというより、地域診療の火を消すことなく、旭川の医療を引き継ぐ覚悟をもって取り組もうと考えています。
今後の展望やクリニックの将来像についてのお考えをお聞かせください。
私プラス非常勤医師1人という体制なので、外来がやや手薄な状態です。まずこれをかつての正常な状態に戻すことです。そのうえで、在宅緩和ケアなども充実させていこうと考えていますが、往診では手に負えない病状や、ご家族の介護に無理が生じた場合などで一時患者さんをお預かりできる病床を復活させたいという構想を描いています。一度返上した機能だけに行政とは粘り強い交渉が必要になりますが、それができることがコメディカルも含めた我々のチームの強みだろうと考えます。
最後に鈴木、横田両先生におうかがいしたいのですが、今回の事業承継における日本医業総研とメディカルトリビューンの支援内容について、率直なご意見をお願いします。
(鈴木先生)ウェブでの面談のほか、植村さんには東京から何度も足を運んでいただき、親身に対応をいただきました。若く真面目な後継者を紹介いただき本当に感謝しております。
(横田先生)日本医業総研とメディカルトリビューンに対する評価は、鈴木先生とのご縁をつないでいただいたことに尽きます。承継の残務は一部残っていますが、今後の運営にも相談に乗っていただけたらと思っています。
Profile
前院長 鈴木康之 先生
日本外科学会 認定医
日本消化器外科学会 認定医
麻酔標榜医
産業医
1984年 旭川医科大学医学部 卒業
旭川医科大学附属病院 第二外科研修医
旭川医科大学附属病院 麻酔科研修医
1985年 国立札幌病院 外科研修医
1986年 旭川厚生病院 外科医師
1987年 旭川医科大学附属病院 第二外科医員
医療法人回生会大西病院 外科医師
1988年 旭川医科大学附属病院 第二外科医員
1989年 国立道北病院 外科医師(厚生技官)
1996年 国立道北病院 呼吸器外科医長
1997年 医療法人社団みどりの里 リバータウンクリニック 開設
前副院長 鈴木弘子 先生
医学博士
日本内科学会 認定医
東洋医学会 会員
産業医
院 長 横田 崇 先生 2010年 旭川医科大学医学部 卒業
神鋼加古川病院(現加古川中央市民病院)初期研修医
2012年 旭川医科大学病院 第一内科入局
旭川医科大学病院 呼吸器センター 後期研修医
2013年 医療法人慶友会吉田病院 入職
2021年 医療法人社団みどりの里 リバータウンクリニック 継承
理事長・院長就任