クリニックのホームページで目に留まったのが、紺谷先生の医師になるまでのご経歴です。看護短大から、同志社大学文学部を卒業後に山口大学の医学部に入学されました。けっこう遠回りされた印象ですが、それだけ医師という職業に対する強い願望があったということでしょうか。
元々、人とかかわる仕事がしたいというのがあって、それに女性の社会的自立を意識して選んだ道が看護師でした。看護短大は高い志をもって学ぼうとする学生ばかりでしたが、動機が安易だったせいでしょうか、私にはどうにも拭えない違和感のようなものがありました。その後、同志社大学で心理学を学び、いずれカウンセラーを目指すのも悪くないと思ったのですが、大学で教えるのは自然科学としての実験心理学が主で、個別性の高い精神疾患患者さんを治療できるのは、やはり臨床心理学に長けた精神科医ということになります。そこからですね、医学部を目指したのは。
看護師としての現場経験もおありなんですか。
当時、親からはほとんど勘当状態だったこともあり、同志社に入る前の予備校の学費は、夜間勤務など看護師のアルバイトで賄ってきました。看護短大を中退しようかと思った時期もありましたが、周りの友人たちが止めてくれました。他のアルバイトに比べれば時給も悪くないし、看護師免許を取っておいて本当に助かったと……(笑)。
女性医師が産婦人科で強みを発揮されるのは至当といえますが、他の診療科は検討されなかったのですか。
医学部に進むと、救急医療をやりたくなり、指導医にも「救急科に行きます!」と宣言していました。救急医療の現場は外科治療が主になります。急性期医療の最前線での研修は充実していましたが、患者さんとのかかわりは一期の会遇です。外科医療に携わりたいと考えつつも、患者さんと長くかかわり続けたい、そして患者さんに心から「おめでとう!」といえる意味で、婦人科疾患の治療・管理、さらに妊娠・分娩管理へと進みました。
病院では長くがん治療に取り組んでおられた紺谷先生が、自院開業を意識されたきっかけは何でしょうか。
遠回りしたせいで医学部の同級生とは10歳くらい歳が離れています。自分自身のキャリアを考えたときに、この先もがん治療を続けていくことに少し不安がありました。当時、大阪の「市立貝塚病院」に勤務していたのですが、具体的な将来像を描けないままに日本医業総研の大阪本社が主催する「医院経営塾」に参加し、開業もなかなか面白そうだと感じました。その後、恩師からのお誘いもあってお産を専門とする「新横浜母と子の病院」に転職しました。「女性として日本の宝のために命を捧げなさい」という強いメッセージにも深く影響を受けましたが、それだけやりがいのある仕事でした。二児続けてのお産や、過去の出産で奇禍に遭われたお母さまが新たな命を授かり、どうしても私に診て欲しいとお越しいただいたことには医師冥利に尽きる喜びがありました。
外科医療から婦人科、産科の経験は、開業ではどう強みとして活かされているのでしょうか。
特定の領域に専門特化することはありません。乳腺疾患の認定医でもあるので当初はマンモグラフィの導入も考えて、担当コンサルの三木さんとも相談しましたが、スペース的に無理があることと、現実的にどこまで乳腺検査の集患が可能なのかを考慮し見送りました。ただ、がん治療も含め広域な診療に携わってきたなかで、ファーストタッチでの診断は得意な方ですし、女性のヘルスケアやホルモン量の低下に伴う更年期障害なども勉強しています。
病院外来でたまたま担当するのではなく、紺谷先生のクリニックに患者さんをお迎えする。その責任は重大ですね。
特定の病院名で選ばずに、ウェブ検索などで当院のホームページをご覧になって来てくださる方が多いと思われますので、スタッフ全員で温かくお迎えしたいし、患者さんの期待を裏切ってはなりません。病気は絶対に見逃さないということに強い責任感を持ちたいと思っています。でも本当にありがたいことに、前職で診てきた患者さんがウェブで私を探して内覧会に来てくださったほか、外来にも結構お越しいただいています。かつて分娩を担当させていただいたお子さんの育った姿を見られるのは、本当に嬉しいものです。
女性特有のデリケートな悩みや不安を抱えた患者さんもいると思われますが、そうしたメンタリティにどうアプローチされていますか。
やはり時間をかけて、ゆっくりと傾聴するということ。不安を解消するという意味では、患者さんが希望される範囲で、手厚い検査も実施するようにしています。良くなるために、もう一歩踏み出す決断が必要と感じられる場合は、ときに背中を押してあげることも医師の務めだと思っています。
開業立地は結構悩まれたようですが、ここ武蔵小山の物件を候補とされたときの第一印象はいかがでしたか。
地域の新しいランドマークのようなタワーマンションに隣接した新しい医療フロアで、アプローチ階段を上がるとパーッと視界が開けるような好印象を受けました。アーケード商店街として有名なパルムの庶民的な活気と、都市のアッパー層が混在したような新鮮な明るさがあります。
このエリアでの婦人科の医療需要という面はどうなんでしょうか。
これは来院患者さんの多くがおっしゃられていますが、女性のがん検診などを実施しているクリニックが少なく、ちょっとした婦人科難民だったようです。そういう意味でも、当院の開業は地域の女性たちから歓迎されていると感じています。
クリニック運営で重要となるスタッフについては、どういう基準で採用されたのですか。
医療従事者としてのスペックよりも人柄重視です。常勤は助産師で、パートの方も何らかの形で産婦人科にかかわった方ですが、素直さ、優しさというイメージを重視して採用しました。スタッフの持ちあわせる雰囲気は、患者さんにとってもとても大切です。最近は個別面談のほか、2週間に1回程度のミーティングを実施しています。コロナ禍であまり食事などには行けませんが、比較的近い年代が集まりましたので、結構なんでも気兼ねなく話しやすい環境だと思っています。
来院患者さんのエリアや来院動機は調査されていますか。
エリアとしては品川区と大田区が中心で、目黒区からも結構いらっしゃいます。最近は神奈川県の方も増えてきました。来院動機アンケートはまだ実施していませんが、やはりホームページ検索が多いようで、ほかに設計会社の提案によるライトアップがクリニックの視認性を高めていて、偶然当院の存在を知ったという方もいらっしゃいます。
Googleで多くのの口コミが書き込まれ、評価も高いですね。
本当ですか!? 無責任にスタッフの悪評などを載せる人もいるので、臆病な私は怖くて見ないようにしているのですが、私たちにとっての患者さん本位の普通の行いを評価していただけたとしたら嬉しいことです。
今回の開業では、弊社コンサルティング部の三木崇史がサポートさせていただきました。開業後は税理士法人日本医業総研の方で税務・会計業務を引き継がせていただいておりますが、日本医業総研グループのサポートについての忌憚のないご意見をお聞かせください。
三木さんは恩人そのものです(笑)。前職に勤務しながらの多忙な開業準備でナーバスになったり、ストレスフルにもなりましたが、私の感情の起伏を、三木さんはすべて受け止めてくれました。これがプロの仕事なんだと思います。ほとんど三木さんに丸投げのなかで、細やかな部分まで根気強く丁寧に教えていただけましたし、ぼんやりしていた開業のイメージもコミュニケーションを重ねていくうちに鮮明になりました。コンサル料の追加料金を払わなくていいのかな? と思ったほどです。開業後の税務・会計を担当していただいている篠原美穂さん、小林鈴佳さんにも良くしていただいていて、さまざまな経営アドバイスのほか、ちょっとした愚痴まで聞いていただいています(笑)。
院長 紺谷佳代 先生
院長プロフィール
医学博士
日本産科婦人科学会 産婦人科専門医
日本専門医機構 産婦人科専門医
母体保護法指定医
日本産婦人科乳腺医学会 乳房疾患認定医
NR・サプリメントアドバイザー
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大阪府立看護短期大学 卒業
同志社大学文学部心理学専攻 卒業
山口大学医学部 卒業
国立病院機構大阪医療センター
三重大学医学部附属病院
三重県立総合医療センター
市立貝塚病院
新横浜母と子の病院
戸塚共立レディースクリニック
2022年3月 ブルーマリヌ武蔵小山女性クリニック 開設