教師志望から小児科医の道へ
「子どもたちの人生の一端にかかわりながら、彼らが新しい何かを創造できる刺激や影響をもたらす仕事ができたら…」
高校時代、教職を志望する一方で、大学受験を未来の可能性につなげたいと悩んでいたわたしに助言をしてくれたのは、小学校時代の教頭先生でした。
「君がやろうとしていることは医師でも可能ではないか、いや、むしろ医師にこそ求められている生き方ではないだろうか」恩師のこのひと言がわたしの背中を押してくれました。その後わたしは大阪医科大学に進学、迷うことなく小児科医の道を目指すことになりました。
同大学卒業後、附属病院の小児科に入局。当初より目標にしていたのは地域のプライマリケアを担う開業医でした。
小児科医療では、状態に対するジェネラルな視点での評価が基本ですが、他科と同様に、臓器別・疾患別の専門分化がすすんでいます。医局の上司が小児循環器の専門医だったこともあって、彼のすすめで東京女子医科大学附属病院日本心臓血圧研究所に学びの場を移し、小児循環器医療の研鑽に努めました。
小児科医療のなかにあって小児循環器はやや異質な世界で、カテーテル治療などを含めた外科的な対応を必要とする症状も多く、外科医や麻酔科医のほか、多職種でのチーム医療が不可欠な分野です。臨床・基礎ともに当時の循環器小児科をリードしていた病院での勤務は学びの実感も大きく、母校の医局に戻ってからは外科を含めた小児循環器グループの立ち上げに中心的に携わってきました。
自身の知識やスキルを活かし、試行錯誤をしながらも、患児やご家族とすごした日々はとても充実していました。院内の連携体制も充実し、後輩医師が運営を支えてくれるようになり、勤務医としてやれることはやりきったと考え、医師生活20年目の節目と重なった平成25年、初心にもとづいて開業の意思を固めました。
子どもの治療だけではなく、母親の不安も受けとめる
勤務医時代から実感してきたことは、母親の多くが子育てに不安を抱いているということです。低出生率の表れなのか、母親が子どもの些細な変化にナーバスになって育児への自信を失っています。これには、インターネットをはじめとする手軽で多様化したメディアから発せられる膨大な量の情報に惑わされている一面があるのではないかと感じられました。小児科クリニックが担うべき本来の役割をあらためて考えたとき、疾患だけではなく子どもに関するあらゆる不安を受けとめ、解決の糸口を導き出す最初のアクセス先でなければならないのではないか、という結論に至りました。当院が掲げる『お子さまにもお母さんにも“優しい”医療』という指針には、子どもの状態をジェネラルに診るという医療の基本にくわえ、背景にある育児や健康相談にも積極的に取り組むという意味がこめられています。
実践のひとつとして日常的に心がけていることは、専門用語を使わず、子どもの目線、母親の目線にたち、誰にでも理解していただける説明です。たとえば、服薬指導でも母親や大人に説明するだけではなく、薬を飲む子どもと向き合い、この薬を飲むと何がよくなるのかについてゆっくりとした口調で丁寧に説明することにしています。
現代社会の象徴的な問題ともいえる「子育て不安」では、『トリプルP―前向き子育てプログラム』のメソッドを有効に用いて、親子間のコミュニケーションを円滑化にはかると同時に、育児を楽しみながら子どもの発達を促し、自信がもてるよう心理的な支援を実施しています。
人物本位のコンサルタント選び
開業される医師の大多数は、開業コンサルタントのサポートを利用することになると思います。
コンサル会社の選択は、病院と取引のある企業や先輩開業医からの紹介を受けることもあるでしょう。ウェブで検索すると相当数がヒットし、無料サービスを掲げる会社まであります。
わたしの場合は、参加した開業セミナーで日本医業総研の山下明宏氏と出会ったことが選択のきっかけになりました。その後の面談で山下氏の実直な人柄やクレバーな考え方に共感し、患者さんが主治医を選ぶような信頼感をもちました。会社の実績は認めながらも、あくまで人物本位の選択です。「山下さんが担当してくれるのなら」という条件付きでコンサル契約を結びました。
成功を支えるスタッフの理解と自主性
事業計画上の損益分岐となる受診者数は1日40人。綿密なリサーチで達成可能と判断された数字でしたから、当面の課題は、どの段階で損益分岐を超えるかということでした。ところが、いざふたを開けてみると開業初月から損益分岐をクリアし、2年経った現在の受診者数は予防接種を含めると1日約90人でなお増加傾向にあります。
病院外来での単発的なかかわり方とは違って開業後は“かかりつけ医”として患者さんの既往歴や細かなニュアンスまでを把握していきますから、個別性を考慮した最適な治療や処方を選択することができています。患児や母親も数回の受診で診療方針への理解が深まり、双方の信頼関係が醸成されてきた結果が現在の数字に表れていると感じています。
また、良質な医療サービスの提供に欠かせない優秀なスタッフたちとの出会いにも恵まれました。
現在は、看護師3名、事務職7名によるシフト制ですが、事務職ではベテランのひとりを除き、医療機関での実務経験はありません。当院の診療方針である子ども目線・母親目線での応対を抵抗なく理解してくれたのは、逆に未経験だったからなのかもしれません。
さらに看護師を中心に小児科医療の勉強会をスタッフたちが自主的に開いてくれるほか、問題点の抽出や改善についても意識を共有し組織的に取り組んでくれています。経営者であるわたしの仕事は、スタッフが働きやすく、高いモチベーションを維持できる職場環境をつくることですが、地域のさらなる医療ニーズに応えていくにはマンパワー不足が否めません。それでいて個々の診察時間を短縮するわけにはいかず、スタッフのスキルを医療クラークにまで高め、電子カルテにかけている現在の時間を患者さんに向けていけばこの課題も大きく改善されると考えています。
家族の絆が深まったセカンドステージ
病院でも多くの育児相談を受けてきましたが、開業医として応じる現実の悩みは想像以上に深刻なものでした。“数を診る”病院と違い、一人ひとりにじっくり向き合うことが求められるのがクリニックです。そこに必要なスキルは、高度な医療知識とともに、悩みを委ねられる者としてのバランス感覚だといえます。開業医の勉強は、医療の枠を超えた人間力を身につけることだと患者さんとのかかわりから気づかされました。
診察は午前・午後・夕方の時間帯でわけていますが、実は切れ目がないのが実際で、毎日10時間以上は診察にかかりきりです。診察を終えたあとは紹介状の作成といった事務作業が残り、家路につくのは夜11時を回ってからということもめずらしくありません。勤務医時代のような夜間救急対応や当直はありませんが、仕事量は圧倒的に増えたというのが正直な印象です。
私生活では、開業によって医師の仕事に対する家族の理解がより深まったように感じられます。妻は自宅で経理処理などを手伝ってくれていますが、女性だからこそ気づく妻として、または母親としてのアドバイスが非常に役立っています。二人三脚で頑張る気持ちが共有できていて夫婦の絆も深まったと思います。勤務医時代とは違って子どもたちにも「パパの病院」で実際に働いている父親の姿をみせられることが、彼らによい影響を与えていくのではないかと期待しています。開業というセカンドステージでえられる価値観は、診療科や開業スタイル、医師の考え方によっても異なると思いますが、患者増は数値上の成功だけを表すのではなく、提供する医療サービスが地域に認められたことの証です。地域の方々との身近な信頼関係が運営基盤を成す“かかりつけ医”には、大学病院で取り組む先進医療では感じられない全人的医療を支える医師としての新たな充実感があります。
こどもクリニック森
院長 森 保彦
院長プロフィール
医学博士
日本小児科学会認定小児科専門医
日本小児循環器学会認定 小児循環器専門医
1993 年 大阪医科大学卒業
大阪医科大学附属病院小児科入局
1996 年 東京女子医科大学附属病院
日本心臓血圧研究所循環器小児科
1998 年 長野県立こども病院循環器小児科
1999 年 大阪医科大学附属病院小児科 専攻医
2004 年 大阪府済生会吹田病院小児科 医長
2007 年 大阪医科大学附属病院小児科 助教
2011 年 大阪府済生会吹田病院小児科 部長
2013 年 こどもクリニック森 開院